三浦港11:05~神奈川県漁連三崎支所11:30/40~諸磯崎12:10~油壷マリンパーク13:05~三浦導寸の墓13:10~油壷海岸13:25/45~白髭神社14:25~小網代の森14:50~小網代の森引橋入口15:10~三崎口駅駐車場15:30
三浦半島の先端から東京を取り巻くようにして続く関東ふれあいの道は登山道としてもお馴染みのところです。総延長は1800km、日帰りとして利用できるように160コースが設定されています。神奈川では三浦・岩礁のみちをはじめとして17のコースがあります。
高い山は雪が心配されるこれからの季節、ふれあいの道をめぐるのも良さげと言うことで神奈川の2番目、油壷・入江のみちを歩くことにしました。
たどり着いた京急の三崎口駅からバスで三崎港に向かいます。マグロで知られた観光地とあって、京急のまぐろ切符を利用した人も多いようです。
マグロなど海産物が売られているうらりマルシェに立ち寄りお土産などを買い求めます。まだお昼には早いようですが七兵衛丸というお店屋さんではすでに暖簾がかかっていました。少し早いようですがここでお昼、お勧めの活きイキ刺身定食を食べてから歩き始めることにしました。
三崎港からは海岸線にそった舗装道路歩きです。三崎漁港を回り込むように進むと歌舞島です。かつてこの付近は島であったようで鎌倉幕府の行楽地として多くの幕官が来遊していたとか、源頼朝が歌舞宴楽を催したことからその名が付いたと伝えられているようです。その傍には北原白秋文学コースの案内板もありました。
小網代から剱崎にかけて続く三浦南部の海岸線は隆起によってつくられた典型的な海岸段丘と言います。この付近は三崎砂岩泥岩互層と呼ばれる堆積岩で、白っぽい泥岩と、黒い軽石など玄武岩とが縞状に重なり合っています。
道端にあった説明板によるとここは海外町(かいとちょう)のスランプ構造と呼ばれる珍しいもの、海底で堆積していた堆積層が地滑りで折れ曲がったもので天然記念物にも指定されていると言います。
また近くには二町谷の蓮痕(れんこん)と呼ばれる海底の堆積した泥や砂が渦のような模様となった珍しい地層もあります。
ふれあいの道は海岸線を離れ諸磯崎へ向かいます。岬の先端には諸磯崎の漁港、その先には神明社の社が祀られていました。
諸磯崎の岩礁には真っ白い諸磯崎灯台が建っています。ここは磯釣のポイントとなっているようで平日にもかかわらず数人の太公望が岩の上で釣り糸を引いていました。
諸磯崎からは油壷に向かうことにします。途中の諸磯湾の静かな入江はにはたくさんのヨットが停泊しています。三浦半島は葉山をはじめとしてヨットを楽しむ人のメッカにもなっているのでしょう。
諸磯湾から坂道を登って行くと油壷です。左手は油壷湾、ここにもたくさんのヨットが停泊しています。
油壷は戦国時代の武将、三浦義同の居城であった荒井城があったところです。導寸は出家後の名でこちらの方が有名なようです。
永正9年(1512年)、岡崎城(平塚)にいた道寸は早雲の軍勢に攻められ新井城に篭城します。日本籠城史にもまれな凄惨な攻防は三年にわたりましたが、遂に永正13年(1516年)家臣ともどもこの地で討ち死にしました。
その遺体によって湾一面は血に染まり油を流したような様になったことから、油壷と名が付けられたと伝えられています。
マリンパークの大きな駐車場には油壷周辺の案内板があります。平日のこともあるでしょうが油壷マリンパークを訪れる人はまばらです。
胴網海岸へと下って行く暗い遊歩道の途中に三浦導寸の墓があります。墓の周りには御料局境界石がありました。ネットなどを見ると昭和の初め小網代周辺に初声御用邸の建設が計画されていました。計画は昭和天皇のご判断で中止になったようですが道路や植樹などの工事が行われたようです。ここの御料局点はその時の名残なのでしょう。
下った海岸は胴網海岸、荒磯をめぐるように遊歩道が続いています。波打ち際の岩を越える階段を登ると鬼の洗濯岩のような隆起した荒磯です。目の前には先ほど歩いてきた諸磯崎の白い灯台が見えていました。
岩伝いに続くウォーキングコースは岬の先へ、霞んだ水平線の先には大島の島影、光る波の中を漁船が何処かに向かっているようでした。
岬の先を回り込むと新井浜の海水浴場のようで幟などの立ち海岸を歩く人も見えていました。
油壷からは小網代の森へ向かうことにします。関東ふれあいの道として設定されているコースでは油壺のバス停が終点です。
小網代湾には釣り船屋さんが案内板を掲げています。ワラサ、イサキ、カワハギ、アオリイカ、アマダイなど季節ごとに色々な獲物が狙えるようです。
白髭神社は三浦七福神の寿老神を祀る神社です。境内にある石は鳴石、カンカン石とも呼ばれ、打てば「カンカン」と金属製の音がすると言います。
山道のような細い道を登って行くと小網代の森です。湿原の先は干潟に繋がっているところで良く整備された木道が続いています。
えのき広場の先は干潟になっておりアカテガニが生息している言います。木道はやなぎテラスを通り引橋入口へと向かいます。最後は急な階段をひと登りすることになりました。
国道に出ると引橋です。現在は国道の上の橋と言うことですが三浦導寸の時代には荒井城の守りの要で、この橋を引き北条の軍勢の侵入を防いでいたと言います。
ここからは三崎口駅に戻ります。帰り道で出会った人は小網代でボランティアをしているというようで、帰りは何時も三崎口駅まで歩いて戻ると言います。下りのため15分ほどとか、青空の下にそびえる大楠山を眺めながら歩くと程なく三崎口駅にたどり着きました。