半原バス停10:10~丹沢あんぱん10:40/55、ローソン相模船久保店10:55/11:00~雨乞山11:45/12:15~明日原分岐13:05~根小屋分岐13:45/55~城山公園駐車場14:05~城山14:45/15:00~飯綱曲輪15:05/10~津久井湖観光センター前バス停15:50
今年最初の山行は昨年から歩き始めた関東ふれあいの道歩きです。登山口は韮尾根のバス停からということですがバスの便が良くないので半原のバス停から韮尾根バス停まで歩くことにしました。
明るい冬の日を浴びる舗装道路は津久井湖へと続く国道412号線、幹線道路ということで車はたくさん走っていますがこの時期歩く人はほとんどいません。
韮尾根のバス停近くには丹沢あんぱんでお馴染みのおぎの屋の工場があります。赤い旗が立つ駐車場にはパンを求めに来た車も停まっていました。
登山口はバス停の近く、関東ふれあいの道の案内板から緩やかに舗装道路を登って行きます。
この付近は戦国時代、小田原城を包囲した武田軍がその帰路に北条軍と争った三増峠の戦いが行われたところです。途中のお地蔵さんから関東ふれあいのみち17番、北条武田合戦場のみちが分かれていました。
やがて民家の脇から山道が始まります。暗いヒノキ林の中を緩やかに登って行きます。やがて志田峠へと続く道を右に分け尾根道を登って行くと雨乞山の山頂にたどり着きました。三角点が置かれた山頂は登山道の通過点といったところです。木立に覆われ展望は全く期待できませんでした。
雨乞山の山頂からは明日原に向かうことにします。ヒノキ林の尾根道を下っていく道は良く踏まれ特に危険なところはありません。
しばらく下ると左手に桜山への道が分かれています。案内板によると大正天皇の誕生を祝い地元の青年団が桜を植えたとか、春には桜の花が奇麗なところと言います。
道標に従い緩やかに下って行くと明日原にたどり着きました。付近は耕作地が広がるところです。視界の先には津久井の町並み、その上には南高尾の稜線や高尾山の山頂、その左に青く続く稜線は奥高尾の縦走路のようです。
明日原で舗装道路を超えると再び耕作地の中を進んで行きます。道端には石仏が祀られていました。その端には三面に2体ずつのお地蔵さんが刻まれています。珍しい石仏ですが六地蔵なのでしょう。
やがて道は平井の集落へと下っていきます。ここには相模灘というお酒を造っている久保田酒造の酒蔵があります。道路わきの大きな看板には新酒できましたという案内が出ていました。
ここからは根本へと登って行くことになります。道標に従い坂道を登ると通行止め、右手に戻るようにして坂道を登って行くことになりますが道間違いしやすいところでした。
緩やかに登って行く舗装道路は津久井広域道路の下をくぐると住宅地の中をたどることになります。
道標に従い津久井学校給食センターの分岐で城山方面に、緩やかに坂道を登って行くと津久井湖城山公園の駐車場にたどり着きました。
ここからは公園内の道を登って行きます。城山の山頂へは急な男坂、緩やかに山頂を巻くようにして登って行く女坂があります。
男坂を一登りすると稜線です。左手の尾根道を進むと津久井城の本丸曲輪にたどり着きました。津久井城は鎌倉時代に三浦党の筑井氏が築城したと言われています。豊臣秀吉の小田原攻めでは城主内藤景豊の老臣が守っていたものの徳川家康の武将平岩親吉らによる攻撃により開城したと言います。
山頂周辺には曲輪や倉庫跡、土塁、堀切りなどの遺構が残り往時を説明する案内板が建っていました。
本丸曲輪からは飯縄曲輪に向かいます。飯縄神社の奥は見晴らし台になっていて狼煙場が置かれていたと言います。ここからは都心のビル群の先に三浦半島や房総の山々が見えていました。
見晴らし台で出会ったお年寄りは地元の人とか、年末頃からは空気も澄み筑波山の頂も眺めることができると言っていました。振り返ると逆光を浴びて大山から続く表尾根の稜線、その先には蛭ヶ岳も見えていました。
帰りは宝ヶ池から津久井湖へと下って行くことにします。宝ヶ池から右手に折れる道には堀切や鎖場、その先は鷹射場へと下って行くようです。我々は緩やかな遊歩道のような道を下ることにします。
途中にはガイド用の鎖、フェンスには手摺まで付いています。ハイキングコースというよりは遊歩道といったところでしょう。4時近くにもかかわらずまだ山頂を目指し登ってくる人も数人いました。
たどり着いた広場が津久井湖観光センター前、一息を入れる暇もなく橋本行きの神奈中バスがやってきました。