日向薬師バス停12:35~日向薬師12:50~日向薬師梅林12:55/13:15~七尾神社14:05~巡礼峠14:40~井出山15:05/20~物見峠15:35~むじな坂峠15:45~御門橋バス停16:15~上飯山バス停16:45
関東ふれあいの道、太田道灌・日向薬師のみちに引き続き巡礼峠のみちを歩くことにします。
日向薬師入口から沢筋を登って行く参道は程なく道は急な石段になります。娘の病気回復の祈願のため日向薬師を訪れた源頼朝がここで旅装を脱ぎ白装束に着替えたことから衣裳場と呼ばれたところです。
急な石段を登って行くと仁王門です。さらに石段を登って行くと日向薬師の本堂にたどり着きました。
日向薬師は716年(霊亀2年)行基によって開かれた霊山寺をはじまりとする古刹です。本堂の裏手に駐車場があるため多くの参拝客は車を利用しているようです。お土産を売る露店も店を出していました。
茅葺の本堂は平成の大修理で完成したもの、境内には国指定の重要文化財である茅葺の鐘楼があります。暦応3年(1340年)の銘文をもつことから今から700年もも昔に吊るされたものと言います。
また境内の大木の根元には虚空蔵菩薩が祀られています。日向山の奥の院にあったものを移したものです。十三詣りとして、子供が13歳に成長すると、より福徳、知恵と慈悲心が授かりますようにとお参りされている仏様です。
日向薬師の境内は紅葉の色付きが進んでいます。梅園のベンチに腰を下ろして少し遅いお弁当にしました。
時計は1時を過ぎています。巡礼の道は歩程8.8km、3時間15分の道程です。日没が早いこの時期は下山の時間が気になるところです。
日向薬師からは長い林道を下って行きます。たどり着いた七沢神社の鳥居には遥拝殿、ここは浅間神社の遥拝殿と言います。
七尾には七尾城があったと言います。宝徳2年(1450年)に勃発した鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉憲忠と戦いで上杉憲忠軍が篭もったとされる城です。国道沿いには七沢の大手門へと続く門口の地名が残っています。七沢城は現在の七沢リハビリティション病院近くにあったとされています。
七沢温泉のバス停近くから川を渡り巡礼峠へと続く山道を登って行きます。途中には鹿避けのゲートも設置されていました。
日向薬師と飯山観音を結ぶ参詣道として利用されてきた巡礼峠にはお地蔵様が祀られています。260年ほど前、信州から巡礼に訪れた父娘が山賊に襲われ命を落としました。近隣の村人はこれを憐れみ建立したものと伝えられています。
ここからは以前歩いたことのある七沢森林公園の道です。紅葉が進む雑木林の尾根をたどる道は物見峠、むじな沢峠へと続いています。途中には鎖が張れれた急坂など思いのほかアップダウンが多い道です。
むじな沢の先には堀切のような地形が残っています。ネットなどを調べてもこの周辺に城跡があったと言う話は見当たりませんでした。
白山の手前で関東ふれあいの道は御門橋へと下って行きます。御門橋は毛利景行が館を構えたところと言います。毛利景行は鎌倉幕府を支えた大江姓毛利氏とは違う古くからの荘園領主であり、その出自については定かではありません。和田合戦において和田義盛方に付き討死したとされています。
杉林の中の急坂をジグザグに下ると茶畑の傍にたどり着きました。ここにも山ヒルがいるようで登山口にはヒル避けのスプレーが置かれていました。
1時間に1本のバスは数分前に通過したばかりです。仕方なく日の落ち始めた県道を上飯山バス停まで30分ほど、バス停に到着すると程なく本厚木行きのバスは出発しました。