宇佐美駅9:55-離山登山口10:25/30-離山石切り場10:50/11:20-321m付近12:15/30-ナコウ山12:55/13:15-ひもの屋12:10/15-宇佐美駅14:35
関が原の戦いが終わると徳川家康は天下の城として江戸城の築城を進めました。その石垣用の石は伊豆から切り出されました。伊東はその中心的な場所で採石に携わった大名の石丁場(石の切り出しを行う場所)が置かれ、村の人口の数倍にもあたる作業員がいたと言います。
宇佐美のナコウ山や御石ヶ沢、離山には石を切り出した跡が残り、石の中には大名の紋等を刻んだ刻印石が数多く残っています。今回の山の会の山行は春の光に包まれる宇佐美の里山に歴史の跡をめぐるハイキングです。
宇佐美駅からはウェットスーツを着込んだサーファーが波乗りを楽しむ海岸通りを西に、春の早い伊豆の道端にはスミレの花も咲き始めています。
海岸線から急な坂道を登って行くと離山の登山口です。アルミの梯子がかけられているだけで道標などは全くありません。
ふみ跡も薄い竹藪の中を登って行きます。この竹藪は個人の所有地のようでタケノコ採取禁止の張り紙が彼方此方にありました。たどり着いた広場は離山の石切り場、点在する石には九曜星や丸に一つ引き、田の刻印などが残っています。
丸に一つ引きは毛利家または細川家、九曜星は加賀前田家の刻印と推定されているようですが一つの石に複数の刻印があるなど必ずしも刻印と大名家が一致していないようです。広場の近くには離山の4等三角点、反対側には木立の間から相模湾が望める展望台もありました。
離山からは竹藪の中を下って行きます。やがて道は旧宇佐美トンネルの脇から尾根道を登って行くようになります。雑木林の中を真っ直ぐに登って行く道は今回のコースで最も急なところ、古い麻の固定ロープも張られていました。
321mの目立たないピークで一息を入れたのち小さく下ると白波台の分岐です。この付近には道標も設けられ、道も良く整備されているようです。ヒメシャラなどの樹林帯の中を登り返すと羽柴越中守の石切り場にたどり着きました。
羽柴越中守は九州の大名細川忠興のこと、豊臣秀吉から羽柴性を与えられ7将の一人にも数えられた武将です。石切り場の上はナコウ山です。小さな山頂にはナコウ山の案内板と三角点がありました。
羽柴越中守の石切り場は展望が開けるところです。目の前には宇佐美の海岸線、霞んだ空の下には天城山の山頂も見え隠れしていました。
ここからは雑木林の斜面を下って行きます。しばらく下ると田の刻印石、ここからは道を左に折れ沢に向かって下って行きます。
たどり着いた沢にもたくさんの刻印石を見つけることが出来ます。ダンゴ紋の刻印石の案内板がありましたが風化が進んだ石が多くなかなか見つかりません。しばらく下った石に串団子のような刻印が刻まれていました。ここから切り出された石は修羅に載せられ石引道を下り宇佐美の浜へと運ばれたのでしょう。
宇佐美の街の中にも刻印石が彼方此方に残っています。駅前の広場にも案内板とともに市内にあった刻印石が移設されていました。宇佐美は江戸城築城の歴史の一部が残っている町でした。