天城縦走登山口8:55-四辻9:15-1140m付近衣類調整9:35-万二郎岳10:05/15―石楠立10:50-万三郎岳11:25/35-片瀬峠11:55/12:20-戸塚峠12:55-白田峠13:30/35-八丁池14:20/35-展望台14:45-わさび田15:35/45-向峠16:05-天城峠16:30-旧天城トンネル16:50-天城峠バス停16:55
天城山はアマギシャクナゲの咲く山として日本百名山にもその名を連ねる頂です。稜線にピンクの花が咲く季節には訪れるハイカーが多いものの、この時期はゴルフのお客さんを含め訪れる人は多くありません。
伊東駅前を出発した天城高原ゴルフ場行きのバスは冷たそうな雲があたりを覆う天城縦走登山口にたどり着きました。
登山口からは杉林の中の登りが始まります。遊歩道のような道を緩やかに進むと万三郎岳から下ってくる道を合わせる四辻の分岐です。
すっかり葉を落とした雑木林の登山道は徐々に傾斜を増してきます。このコースは環境庁が整備を行っているようで木の階段や道標などの整備も行き届いています。
たどり着いた万二郎岳は木立に覆われた広場と言ったところで御料局点と山頂の案内板が建っていました。
山頂の先からは真っ白な樹氷をまとった万三郎岳の頂を見付けることが出来ます。あまり風は強くないものの海から吹き寄せる湿った風が梢の先に白い花を付けるのでしょう。
万三郎岳までは馬ノ背や石楠立(はなたて)の鞍部をたどる尾根道です。途中には小さな岩場もありますが心地良い縦走路が続いています。やがて登りが急になると万三郎岳の山頂は目の前です。付近の木立は真っ白な樹氷の花に彩られモノトーンの世界を彷徨い歩いているようです。
万三郎岳の山頂も木立に覆われた広場です。山頂には1等三角点と天城岳縦走路の案内板が建っていました。
ここから八丁池まではアックダウンの少ない縦走路が始まります。山頂から小さく下ったところは万三郎岳下の分岐点です。
さらに下ったところが片瀬峠です。登山道わきのベンチに腰を下ろして昼食にしました。この周辺も御料地であったようで登山道沿いには御料局測点や宮標石を見つけることが出来ます。中にはベンチの下に転がっているものもありました。
固定ロープも張られた急坂を下って行くとほどなく戸塚峠です。登山道は1107.4mのなだらかな頂を巻くようにして天城峠を目指します。落ち葉に包まれた単調な道はアップダウンも少ないものの白田峠でようやく半分ほど、天城峠まではまだまだ先が長いようです。
落ち葉を踏みしめながら緩やかに下って行くと八丁池にたどり着きました。静かに水をたたえる池はかつては天城火山の火口に水が溜まったものと思われていましたが最近では断層の窪地に水が溜まったものと言われています。気温もマイナスになっているようで、湖面には厚く氷が張っていました。
八丁池からは天城峠を目指すことにします。展望台の側には寒天橋から林道が登ってきているようで立派なトイレが建っています。しかしこの時期、水道が凍結しているようで閉鎖されていました。
ここからはたくさんのコースが開かれています。野鳥の森を越えて寒天橋に下るもの、上り御幸歩道・水生地歩道を下るもの、下り御幸歩道を下るものなどなど、若葉の季節にはたくさんのハイカーがハイキングを楽しむところのようです。
時間が足りなければ大見分岐から水生地下に下ることも考えていましたが上り御幸歩道をたどり天城峠へ向かうことにしました。
御幸歩道は昭和天皇が八丁池を往復したときに利用されたことから名付けられたハイキングコースです。低くなり始めた冬の日が落とす陰を踏みながら緩やかに下って行くとやがてわさび田にたどり着きました。
伊豆の名物の一つに数えられるわさびはこのような山間の渓流沿いで育てられているようです。瀬音が心地よい沢にはフェンスを張り巡らせたわさび田が続いていました。
この先、藤ヶ沢歩道は崩壊のため通行が出来ないようです。山肌を巻くように登って行く迂回路の登りは疲れはじめた足にはこたえるものです。途中には右手が切れ落ちた桟道が何ヶ所かありました。
小さなピークの上に沈む太陽を追いながら道を急ぐと天城峠です。ここから暗くなり始めた沢沿いの道を下ると旧天城トンネルにたどり着きました。
川端康成の伊豆の踊子では、一人旅の青年が旅芸人一座の娘に心を寄せ、このトンネルの脇にあった峠の茶屋で、はじめてその娘と会話を持った場所として描かれています。吉永小百合の主演した映画の中でも急な峠を汗をかきながら登って行く明るい峠が描かれていた記憶が残っています。
ここから天城トンネルのバス停までは急な石段を下りわずかの道程です。たどり着いたバス停からは僅かの待ち時間で修善寺駅行きのバスに乗ることが出来ました。