中原街道6・旗の台駅~桜田門 
歩行時間:行動時間 5:29、歩行時間 4:51
歩行距離:15.2km
累積標高差:+105m、-122m
往路:東急大井町線・旗の台駅、復路:JR湘南ライン・東京駅
訪問日:2026年1月9日
旗の台駅10:33~麻耶寺10:54~小山八幡神社11:00~戸越地蔵尊11:27~旧中原街道供養塔~子別れ地蔵~国道1号線~目黒川・大崎橋~大崎広小路~すき家西五反田1丁目~薬師寺東京別院~了真寺~袖ヶ崎神社12:44~高野山東京別院~承教寺13:08~妙福寺13:12~伊皿子十字路~三田台公園~済海寺13:32~阿含宗東京別院~蓮乗寺13:41~三田春日神社13:49~赤羽橋14:02~飯熊熊野神社14:11~霊友会釈迦殿~西久保八幡神社14:20~栄閑院(猿寺)14:56~興昭院~虎ノ門金刀比羅宮15:09~桜田門15:34~東京駅16:03
中原街道の街道歩きは旗の台から桜田門まです。当初の中原街道の起点は桜田外門付近だったようですが江戸城の範囲が広がるに従い虎ノ門付近へと移動したようです。
旗の台駅から商店街を通り中原街道へ、左手へと折れる道は立会道路です。立会川は碑文谷公園を水源とし東京湾へと注ぐ都市河川で、そのほとんどが暗渠化され立会道路や遊歩道になっていると言います。
しばらく歩くと麻耶寺や小山八幡神社があります。荏原七福神の寿老人、大黒天を祀っているようで木幡八幡宮には七福神の幟が立っていました。
中原街道に戻ると程なく旧道への分岐です。細くなった道を歩くと戸越地蔵尊がありました。お地蔵さんや庚申塔など地元の信仰を今に集めているところのです。
道端にあった古いお地蔵さんは子別れ地蔵、案内板によると子に先立たれた親が亡骸を見送ったところと言います。
やがて道は首都高速の荏原出入り口です。首都高速でガス橋などに向かう時に通った記憶があるところでした。
国道1号線と別れた中原街道は大崎広小路へ、数日前のNHKで江戸の大火と火消しの話が出ていましたが、ここは火災の延焼を防ぐため設けられた防火帯ということでしょう。都内にはこのほか上野広小路や浅草広小路などがあったようです。
五反田で昼食をしたのち国道1号線を緩やかに登って行きます。住宅地の中のお寺は奈良薬師寺の東京別院、法相宗は南都六宗の一つである学問宗派で檀家制度なども弱く信者は多くないようです。
了真寺、袖ヶ崎神社に立ち寄ったのち高輪台へ、ここは鎌倉古道下道の街道歩きでも歩いたことろで、たくさんのお寺に立ち寄った記憶が残っています。
高野山東京別院の傍は赤い山門の承教寺、妙福寺があります。参道には英一蝶と二本榎の案内板がありました。英一蝶は江戸中期の絵師で吉原の遊郭の絵などものあると言います。
三田台公園は華頂宮邸跡であったところ、井戸跡の傍には気の早い紅梅が満開の花を付けていました。
済海寺や蓮乗寺に立ち寄ったのち聖坂を下ると阿含宗東京別院、阿含宗は星まつりで知られる新興宗教です。星祭りは密教などでも行われますが、京都山科の本山で大規模な「阿含の星まつり」が行われると言います。
聖坂を下ると田町の駅前、慶應義塾大学の傍には三田春日神社が祀られていました。急な階段の上には拝殿、神前に灯篭が奉納されていました。
赤羽橋を越えると正面には赤と白の東京タワーが聳えています。道は国道1号線を飯倉へと登って行きます。坂の途中では10台ほどのストリートカーが下ってきます。外国からのお客さんに人気があるようですが交通量が多い都心では事故などが気になるところです。
飯倉熊野神社を越え緩やかに下ると現代的なデザインの霊友会釈迦殿です。霊友会は法華経系の新興宗教の一つで、立正佼成会や創価学会などとともに数百万の信者を持つと言います。
近くの西久保八幡神社に立ち寄りしばらく歩くと神谷町、右手に折れると栄閑院と興昭院です。栄閑院は解体新書で有名な杉田玄白の墓が、また興昭院にはこんにゃく閻魔が祀られていました。同じ眼病の御利益があると言いますが小石川源覚寺のこんにゃく閻魔とは関係ないとのことでした。
国道1号線をさらに歩くと虎ノ門金毘羅宮です。オフィスビルとして建てられた虎ノ門琴平タワーの脇には金毘羅宮の拝殿、近郊のビジネスマンなのか背広姿の参拝客も多いところです。
この先はたくさんの官庁が建ち並ぶ霞が関、文科省の建物があるところは虎ノ門があったところと言います。
やがて道は桜田門がある内堀通へ、ここは幕末の頃、井伊大老が暗殺された桜田門外の変があったところです。彦根藩の上屋敷があったのは現在の国会議事堂の近くか、桜田門までは僅かの距離ということです。
ここはかつての中原街道の始まりでしょうが道標などは見付けることができませんでした。そろそろ夕暮れも迫るなかイルミネーションが灯り始めたビル街を歩いて東京駅に戻りました。