中原街道5・東山田駅~旗の台駅 
歩行時間:行動時間 5:09、歩行時間 4:51
歩行距離:15.6km
累積標高差:+174m、-156m
往路:市営地下鉄・東山田駅、復路:東急大井町線・旗の台駅
訪問日:2025年12月18日
東山田駅9:51~蒲田堂10:11~御嶽神社10:31~能満寺11:02~千年神社11:25~大戸神社11:56~泉澤寺12:12~丸子橋12:38~東光寺12:56~さくら坂~日高屋雪が谷大塚店13:15/30~呑川~洗足池14:02、八幡神社、弁天神社、勝海舟の墓、妙福寺14:29~旗の台駅15:00
中原街道の街道歩きは東山田駅からです。今回は横浜市の都筑区から川崎市内をたどり足立区の環七通り近くまでの街道歩きになります。
中原街道を緩やかに登って行く道は道中坂、その途中には鎌田堂があります。かつて鎌田兵衛正清(かまたひょうえまさきよ)の館があったことから名付けられたという地蔵堂です。
緩やかに登った道は久末の交差点を越えると川崎市です。バスも水色の川崎市営バスが走っていました。
中原街道に沿って流れる川は有馬川、津波などの心配はないところですが内水氾濫の浸水注意表示がありました。工場の裏手にある御嶽山神社に立ち寄りしばらく歩くと野川交差点、川崎市を横断する尻手黒川街道の高架橋が通っていました。
左には天台宗の能満寺があります。参道には古い庚申塚や念仏講の石柱が祀られていました。雷神塔は関東北部に多いものの川崎市内ではかなり珍しいものと言います。
急な石段を登ると能満寺の本堂です。行基菩薩により開山されたとされる古刹で、境内には古い歴史を今に伝えるようにたくさんの無縁仏が祀られていました。
近くの案内板によるとこの近くには橘樹官衙があったと言います。武蔵国橘樹郡にあった古代の群衙跡で正倉院(倉庫群)が発掘されていると言います。かつて茨城の平沢官衙遺跡を訪ねたことがありましたがこの周辺には古い歴史が残っているようです。
千年交差点を左に折れると千年神社(ちとせじんじゃ)です。近くの神社を合祀した比較的新しい神社と言います。境内の掃除をしていたのは宮司さんでしょうか、近くの官衙までは細い道があると言っていましたが見付けることはできませんでした。
中原街道をしばらく歩くと大戸神社です。ここからは鎌倉古道や川崎七福神歩きで訪れたところで、御殿跡や小杉神社など古い歴史が今に残るところです。
車の流れも多い丸子橋の交差点、右手の道は綱島街道です。神奈川の菊名付近から丸子橋までを通る街道で街道沿いには綱島温泉があったと言います。
多摩川を渡る丸子橋、橋のたもとには丸子橋の親柱が残っていました。ここからは六郷用水に沿った遊歩道歩きです。ここはまだ秋の真最中、モミジが真っ赤に色付いていました。
東光院からの登る坂道は桜坂です。やがて道は環八通りの高架橋をくぐり車の流れも多い東京都道2号線・中原街道です。
たくさんの車が走る中原街道には東急線の雪が谷大塚駅があります。踏切を越えた商店街の中華屋さんでお昼にしました。
さらに中原街道を歩くと呑川、上流部は暗渠で中原街道周辺からは開渠となり大森付近で東京湾に注いでいると言います。かつては悪臭が強い都市河川でしたが「清流の復活」が行われていると案内板には書かれていました。
更に歩くと洗足池です。ここは江戸時代以来の景勝地で、鎌倉時代に日蓮上人が足を洗ったことから名付けられたと言います。池をめぐると池月橋や千束八幡神社、洗足池弁財天などなどがありました。
千束八幡神社は旗挙げ八幡とも呼ばれ、石橋山の合戦で敗れた源頼朝が安房から鎌倉へ攻め上る途中にこの地に陣を張ったという伝承が残っていると言います。
湖畔には南洲西郷先生留魂祠と勝海舟夫妻の墓があります。留魂祠は西南戦争で亡くなった西郷隆盛を悼み、勝海舟が西郷の魂魄を招いて祀った祠と言います。江戸の無血開城を成し遂げた明治の英傑の痕跡が此の地にあるということでした。
また近くの妙福寺には日蓮上人の袈裟懸の松があります。日蓮が身延山から常陸国へ湯治に向かう途中、洗足池に立ち寄り袈裟をかけたと伝えられるところです。
中原街道は五反田へと続いているようですが、東急線の旗の台駅で今回の街道歩きは終点とすることにしました。東急の東横線と大井町線が交差する駅ですか入口が判り難く少し迷いながらたどり着きました。
地下鉄の東山田駅から旗の台駅まで15.6km、4時間50分の街道歩きでした。次は終点の虎ノ門を目指す予定です。