飯倉熊野神社 


 寺社の種類:旧村社
 創建の時期:養老年間(717年~724年)
 札所:港七福神の布袋尊
 本殿の形式:ー
 境内社:太田姫神社、愛宕神社
 所在地:東京都港区麻布台2丁目2ー14
 訪問日:2026年1月9日

 

東京都港区麻布台にある神社です。

熊野神社の石鳥居
御手水場
熊野神社の拝殿
拝殿の内部
 

養老年間(717年~724年)芝浦の海辺に創建、文明年間(1469年~1487年)太田道灌により再建されたと言います。

 

 《熊野神社(飯倉熊野神社)》現地案内板

御祭神 素羹嗚尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊

御相殿(本殿合祀) 塩竈大神(塩土老翁)、宇迦之御魂大神(三田稲荷神社)、火之加具都知大神(愛宕神社)

御由緒

本社は、御遷座以来幾多の回禄に遭い、由緒沿革など記載の古書及び宝物等は、悉く焼失され創立年代など詳細は不明ですが、社伝に依ると元正天皇御代(六八〇~七四八)、養老年間(七一七~七二四)芝浦海辺の地に鎮座ありと伝えられています。御府内備考の丁亥書によれば慶祚阿闇梨(平安時代の僧)が勧請とあります。また江戸名所図絵には、「養老年中に芝浜に勧請後この所に遷す云々」とあり、凡そ南北朝時代には、現今の地に鎮座せるものと推定されます。また文明年間(一四六九~一四八七)太田道灌(持資)により再建され、併せて数多の品物を寄進されたとありますが、戦災により悉くされてしまいました。

当社は、武家の崇敬殊に厚く、御府内備考に「古来権現様入国以来、御代々御代初之節は勿論平日御役人中様御役替等御用之節は当社牛王多分御用ひ御座候段御湛に付奉申上儀は其砌之書面に御座候」とありますように、藩主代替わり時や武士の任官・役替えの際には、当社に詣で牛王神符を拝受されております。

御社號につきましては現在は熊野神社となって居ますが、古くは熊野宮と称しました。其れは、当社にある額銘や古印などにその名残があります。また延宝二年(一六七四)の寺社帳(名所古跡を記した書物)や正徳四年(一七一四)の江戸絵図にも熊野宮とでており、さらに江戸方角安見図鑑には「クマノゴンゲン」、延宝・天和・貞享の核時代に作られた江戸絵図にも「権現」と云う號が用いられております。その後、明治の初年「熊野宮」・「熊野権現」と云う號は廃され「熊野神社」と称するようになりました。

 《太田道灌ゆかりの社》現地案内板

恵比寿太田稲荷神社(飯倉熊野神社末社)

御祭神 恵比寿宇迦之御魂命

主な御利益 戦勝祈願、商売繁盛、金運、交通安全、五穀豊穣、大漁成就

御由緒

恵比寿太田稲荷社と称され、熊野神社境内に鎮座する末社であります。

古事に由ると太田道灌が江戸城より出陣凱旋の折に、勝手ヶ原(当社の東南現在の赤羽橋付近)で陣を整え、当社へ度々参拝したことが伝えられております。その際、戦勝祈願や感謝の証に神前に鯛を供え参拝していたことから大田道灌の守護神と称えられる様になりました。

そして後世の人がこれを真似て土製の鯛を供え祈願成設を願ったと伝えられております。

当時この辺りは土器職人が多く神社前の坂は土器坂と申します。後に土製の鯛を供える風習から何時しか稲荷神が恵比寿神と同一神化され恵比寿大田稲荷社と称される様になりました。

近年正月には港七福神の恵比寿神の社として多くのや拝者が訪れております。

令和二年十二月氏子崇敬者の御芳志を基に、御社を新調しました。

令和二年十二月吉日

 

 関連記録・コース


 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

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