承教寺 
東京都品川区高輪に祀られた日蓮宗のお寺です。
正安元年(1299年)に日円により開基、創建され、承応2年(1653年)に現在地に移転された。明治期には立正大学の前身の大檀林が 置かれていた。本堂わきには檀林跡の碑がありました。
境内には英一蝶の墓があります。江戸時代中期を代表する絵師であり、俳人、書家として活躍した多才な人物です。吉原遊郭に通い、大名や豪商を相手にする人気幇間(太鼓持ち)としても活躍したと言います。
江戸中期の絵師、英派の始祖、本名は多賀信香、潮湖のち一蝶、北窓翁などと号した。承応元年(一六五二)大坂(京都ともいう)に生まれ、一五歳(一説に八歳)のとき、伊勢亀山藩侍医となった父多賀白庵に従って江戸に移った。絵は狩野安信に師事し、また書、俳諧、音曲にも秀で、当時のいわゆる通人であった。
元禄一一年(一六九八)『当世百人一首」や「朝妻舟』の図などが将軍綱吉を風刺したとして、三宅島に配流となったが、在島一二年ののち大赦により江戸に戻った。赦免の報を聞いた時、蝶が花に戯れる様を見て「一蝶」と号したという。
軽妙洒脱な筆致で江戸市民や都市風俗を描くことを得意としたが、享保二年(一七一七)には風俗画廃業を宣言している。同九年一月一三日、七三歳で没した。
平成二〇年十二月設置東京都教育委員会
英一蝶は江戸中期の画家狩野安信に学び人物、花鳥にすぐれやがて独自の軽妙洒脱な画風を創始、和歌・発句もよくした
はじめ多賀朝湖と称したが、四十六才のとき、「朝妻舟」という絵で将軍綱吉の放縦な生活を諷刺したため、幕府の忌諱に触秋三宅島に遠島、赦免後英一蝶と改名した
この英一蝶の墓が当「承教寺」の境内にある大正十三年二月東京府知事より史跡に仮指定された
仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。
鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。