妙福寺 


 寺社の種類:日蓮宗の寺院
 山号:星頂山
 創建の時期:開山・持法院日慈(寛永6年1629年寂)
 本尊:ー
 札所:ー
 所在地:東京都大田区南千束2丁目2ー6
 訪問日:2025年12月18日

 

東京都大田区南千束にある日蓮宗寺院の寺院です。日蓮に帰依していた池上宗仲の館を訪れる前、千束池で足を洗い傍の松に袈裟をかけたと伝えられるところです。

妙福寺の山門
境内に竹林
浄行菩薩像
子育て観音
御手水場
日蓮像
本堂
本堂の軒に彫刻
五輪塔と石仏
袈裟掛けの松
馬頭観音
境内の堂宇
大きな題目塔

『寛永年間以前、日本橋馬喰町の寺院で創建、1657年の明暦の大火で焼失し、浅草永住町へ移転、1923年の関東大震災で被災し、1927年(昭和2)に南千束へ移転。このとき、洗足池畔の御松庵(ごしょうあん)と合併した。』(copilot 2025.12)

《日蓮上人袈裟掛けの松の由来》 現地の案内から

弘安5年9月(1282年)日蓮上人が身延山から常陸国(茨城県)に湯治に向かう途中、日蓮に帰依していた池上宗仲の館(池上本門寺) を訪れる前、千束池の畔で休息し傍の松に袈裟をかけ池の水で足を洗ったと伝えられる。この言い伝えから、この松を袈裟掛けの松と称することとなり、また千束池を洗足池とも称されるようになったといわれる。

天保期(1830~1843年)の「嘉陵紀行」によれば、初代の袈裟掛けの松は「枝四面におおい長さ幹囲み三合がかり、高さ五丈あり」程あったと記されている。

なお現在ある松は三代目であると伝えられる。

御松庵、社団法人 洗足風致協会

《大田区文化財 馬頭観世音供養塔》 現地の案内から

天保一一年(一八四○)に、馬込村千束の馬医師や馬を飼っている人々によって、馬の健康と死馬の冥福を祈って建てられたものである。

光背をつけた馬頭観世音像の下は、角柱型の道しるべを兼ねており、各面には「北道」「 納道」「東江戸中延」 「南道」「西丸子稲毛」というように、東西南北のそれぞれの方向を示す地名が示されている。

この銘文から、もとは中原街道と碑文谷―池上を結ぶ道との交差する地点に建てられたと推定されるが、民有地に移された後、平成一三年に現在地に移設された。

江戸時代後期の民間信仰、交通史を考える上で貴重なものである。

昭和四十九年二月二日指定 大田区教育委員会

 日蓮宗(にちれんしゅう)

仏教の一宗派。鎌倉時代に日蓮が開いた。法華経を所依(しょえ)とし南無妙法蓮華経の題目を唱える実践を重んじ、折伏(しゃくぶく)・摂受(しょうじゅ)の二門を立て、現実における仏国土建設をめざす。

 

 日蓮(にちれん)・立正大師

鎌倉時代の僧。日蓮宗の開祖。安房小湊の漁師の子という。17歳ころから鎌倉・比叡山などで11年間修行研鑽し、法華経こそ至高の経典であるとの確信を得、1253年故郷の清澄山頂で題目を高唱して開宗した。

 

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