勝海舟夫妻の墓 
観光地の種類:史蹟
所在地:東京都大田区南千束2丁目3
訪問日:2025年12月18日
勝海舟は洗足池に、別邸洗足軒を設けるなど、風光明媚な当地を愛しと言います。遺言により明治32年(1899)当地に葬られました。隣地には、勝海舟の遺言により留魂祠(西郷隆盛碑)が葛飾四ツ木より移されています。
《勝海舟夫妻墓所》 現地の案内から
勝海舟(大観院殿)とたみ夫人(大慈院殿)の墓。共に青山の石工・鈴木猛麟の手による。
明治三十二年(一八九九)一月十九日夕刻、赤坂氷川邸で倒れた海舟は、近親者に看取られながら七十七年の生涯を終えた(同二十一日発喪)。二十五日午前九時から青山で葬儀が執り行われ、午後一時出棺。海陸軍の儀仗兵・楽隊に前後を守衛された葬列は、雪の中、沿道に詰めかけた多くの民衆に見送られながら海舟遺愛の洗足池へと進み、遺骸は同日中に埋葬された。後日、海舟が生前に描いた五輪塔の絵をもとに墓石が作られ、十一月五日に竣成している。なお、水輪に刻まれた「海舟」の字は、かつて海舟の後見を受けた公爵・徳川家達の揮毫である。
一方たみ夫人は、海舟死後の家中で重きをなし、明治三十八年(一九〇五)五月二十三日に没した(享年八十五)。その墓石は海舟のものに準じて造られ、当初は長男小鹿・栄子夫妻が眠る青山墓地に設けられていたが、昭和二十 八年(一九五三) 七月に亡夫の横に改葬され、現在に至る。
令和七年三月 大田区教育委員会