能満寺 
寺社の種類:天台宗の寺院
山号:星王山、院号:寶蔵院
創建の時期:奈良時代、開山:行基
本尊:木造虚空蔵菩薩
札所:準西国稲毛三十三所観音霊場16番、武相不動尊霊場6番、都筑橘樹酉年地蔵尊霊場14番
所在地:神奈川県川崎市高津区千年354
訪問日:2025年12月18日
神奈川県川崎市高津区千年にある天台宗の寺院です。『もと影向寺の十二坊の一つとして行基菩薩が創建したと伝えられます。天文年間(1532-54)に当地に移転し快賢が開闢、観空(正徳四年1714年)が中興したといいます。」(猫の足あと 2025.12)
能満寺の参道には古い供養塔や庚申塚が祀られていました。
その中に自然石で造られた「雷神塔」がありました。北関東には雷除塔、雷電塔はあるようですが雷神塔は全国的にもかなり珍しい石塔のようです。
《能満寺の文化財》 現地の案内から
能満寺は星王山寶蔵院と号する天台宗寺院です。
本堂に本尊として祀られる木造虚空蔵菩薩立像(像高九五・六cm。神奈川県指定重要文化財)は像内後頭部に墨書銘があって、南北朝時代、明德元年(一三九〇)に仏師朝祐が造ったものとわかります。朝祐はこの時期に鎌倉を中心に活躍した仏師です。
本尊の後方向かって左側に安置される木造聖観世音菩薩立像(像高一〇一・三cm。川崎市重要歴史記念物)は、平安時代前期、十世紀頃に造られた、県下でも屈指の古像として注目されます。玉眼をはめた面部は後世の改造ですが、重量感あふれる体?にみるべきものがあります。
また、境内の不動堂に安置される木造増田孝清坐像(像高五二・五cm。川崎市重要歴史記念物)は、像内体部の墨書銘から、江戸時代、寛永十年(一六三三)に「日向守」を名のる鎌倉の仏師が造ったものとわかります。増田孝清(一五六九~一六五〇)は近傍の橘樹郡清沢村の旧家増田家の当主でした。像はその後の修理で彩色が改められていますが、製作年代が明らかな肖像彫刻として貴重な文化財です。
令和六年三月 川崎市教育委員会
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。