高幡不動駅10:40~高幡不動10:50/11:00~南平駅分岐12:10/35~七生公園13:00~平山城公園・中央広場13:45/14:00~平山城公園14:15~平山季重神社14:25~平山城址公園駅14:50
高幡不動は成田山新勝寺とともに関東三大不動霊場に名前を連ねる古刹です。また新選組の土方歳三の銅像がある寺としても知られています。多摩周辺の里山歩きも秋川丘陵に続き今回で5コース目、高幡不動から平山城址公園までの雑木林の道を歩いてみることにしました。
たどり着いた高幡不動の駅前から土産物屋さんが軒を並べる商店街へ、新型コロナの感染が収まったものの人はあまり多くありません。それでも見上げる山門の前には参拝に訪れたお年寄り、小さな子供の手を引いた七五三参りの家族連れの姿もありました。
五重塔の裏手からは山内八十八ヶ所の石仏が祀られた散策路です。赤い帽子と涎掛けをかけた石仏が祀られていました。
ここはかつて高幡城があったところ、立河原合戦で敗れた上杉憲秋が高幡不動まで逃れて自刃していることからすでに高幡城が存在したとされてます。江戸時代の新編武蔵国風土記稿では周辺に根小屋があったことが知られています。
高幡山の山頂は展望が開けたところでこの周辺が本丸跡とされています。しかし曲輪など当時の遺構は残っていないようです。
高幡不動からは住宅地の中の道を多摩動物園へ、ここはかたらいの路・多摩丘陵コースとして整備されていたところです。見落としそうな階段を登ると多摩動物園の柵に沿った雑木林の道が始まりました。
金網には目の高さほどに鉄板が張られていました。狸などが動物園に侵入するのを防ぐためとされていますが、どちらかと言うと園内の目隠しなのでしょう。
途中には御嶽神社は祀られていました。大きな石に御嶽大神を中心に八海大神、三笠大神、鎌倉にも同じような石碑がありますがこれは木曽御嶽山の御嶽山信仰の社ということでしょう。
展望が開けると日野の街並みの先に大岳山、御前山など奥多摩の山々、その右手には大持山や武川岳、さらに右に目を移すと霞んだ赤城山や男体山の山々を見付けることができます。晴れ渡った空の下ですが赤城山までは98km、思いのほか空気も澄んでいるようです。
一度住宅地の中を歩いた道は再び動物園の柵に沿って歩く雑木林に道になります。途中、南平駅へと下って行く道を右に分ける分岐、道端のベンチに腰を下ろしお昼にしました。
そろそろ師走も近づいている多摩の紅葉はかなり進んでいるようです。近くの人が散策に歩いているようでしたが道はカサコソと音を立てる落ち葉に覆われていました。
ここからも動物園の柵に沿った道が続きます。木の間からは園内の動物舎や舗装道路が見え隠れしています。柵の中に見つけた鳥はコウノトリか、多摩動物園でも繁殖された日本コウノトリを受け入れているというニュースがありました。この動物園でもコウノトリが増えれ近くを野生のコウノトリが飛ぶという日がくれば良いものです。
落ち葉を踏みしめながら雑木林の道を進むと多摩動物園と七生公園を結ぶ切通しです。その先は七生公園、丘陵地の中に残された自然を結んだ公園と言いますが良く判らない公園と言ったところです。
バートウォッチの小屋から小尾根をたどりましたが途中で道が修理しているとか、結局少し遠回りしてしまったようです。
道は車の流れが多い動物公園通りに、さらに交差点から路を右に折れ七生丘陵散策路へと向かいます。フェンスの中は遊園地があった多摩テックの跡地とか、今は人影もなくひっそりとしていました。
さらに進むと平山城址公園です。ここは長沼駅から平山城址公園、堀之内駅へと歩いたとき通ったところです。
目の前のグランドは平山小学校跡、今はスポーツクラブや保育園として利用されているようでグランドではお年寄りがパークゴルフをしていました。
この公園はかつて平山城があったとされるところです。平山城は武蔵七党のひとつ、西党の日奉直季が居城を構えたところです。直季の子、平山季重は源義経に従い源平合戦で数々の戦功を挙げていると伝えられています。
平山季重神社が狼煙台、神社の周辺に曲輪跡が残っているとされていますが城跡を示す案内板さえも見付けることができませんでした。
神社から坂道を下って行くとやがて平山城址公園駅にたどり着きました。駅の入り口も南側だけで、初めて訪れる人には迷いそうなところでした。