すこやか駐車場9:00-大峯登山口9:30-大峯北峰10:20/25-大峯10:45-中橋11:30-保田川河原11:40/12:05-鹿嶺登山口(小保田313電柱)12:10-179m峰12:50/13:00-鹿嶺13:10-房ヶ谷13:45-遺水神社14:10/20-すこやか駐車場14:40
山の会からの山行のお誘いは房総の大峯・鹿嶺の道無き山。事前に送っていただいた内田栄一さんの紀行文では里見氏の金谷城攻防の歴史を伝えるところと言います。
自宅からアクアラインを通ると房総は思いのほか近いもので舗装工事の渋滞があったにもかかわらず8時半過ぎには待ち合わせの駐車場にたどり着きました。
今は水仙まつりの最中のようで駐車場にはパンフレットも置いています。しかし満開の時期は終わりを迎えつつあるようで広い駐車場にはあまり車もありません。
長狭街道をしばらく歩くと桜橋です。左手には低く連なる大峯の稜線が見えています。
登山道は林道わきの杉林の中からの登りになります。道標などは全く無く目立たない赤テープだけが頼りです。暗い杉林は程なくスイセン畑の脇を登るようになります。満開のスイセンが辺りに甘い匂いを漂わせていました。
しばらく進むと道は不明瞭になります。スイセン畑の脇からは暗い雑木林の斜面を登って行きます。滑りやすい落ち葉の下にジグザグを切りながら尾根へと登って行く道があるようですが途中で途切れてしまいました。
急斜面を登ると大峯北東の稜線です。落ち葉に包まれた稜線を緩やかに登って行くと紀行文にも紹介されていた三菱金属工業の石柱が現れます。さらにひと登りすると大峯の北峰にたどり着きました。
北峰からはクヌギやカシなどの雑木林の稜線歩きです。展望は全く期待できません。小さく登ると大峯の山頂にたどり着きました。暗い山頂にはソテツが目立つだけで山頂を示す道標などはありません。
大峯は里見氏が金谷城を責めるときに押し寄せたというところです。金谷城は鋸山の山裾にあったようで木々がなければこの頂からも指呼の間に望めたところでしょう。
広い山頂はふみ跡も不明瞭です。落ち葉に覆われた古い山道が登ってきているようで北に下って行く尾根に足を踏み入れてしまいました。
西方向に続く尾根通しの山道を緩やかに下って行きます。しばらく下ると本郷上への降下点です。
ここにも道標やテープなどは全くありません。雑木林の中のかすかなふみ跡を見つけ出し落ち葉に覆われた斜面を下って行きます。しばらく下ると木立の先に民家の屋根が見え始めます。落ち葉と泥で荒れた山道を下ると舗装道路にたどり着きました。
この道を歩く人はほとんどいないようで泥の中にはイノシシの蹄の跡が続いています。民家の近くにはみかんやイモなどが吊るされたイノシシの罠がありました。
長狭街道を左に行くと中橋です。早いもので保田川の河原に続く河津桜は1輪、2輪とピンクの花を開いています。道端の菜の花も春の訪れを教えてくれているようです。
紀行文にもあった小保田313の電柱から山道をたどり鹿嶺に登ることにします。農作業帰りのお爺さんに道を訪ねましたが地元の人も登っていない山のようで登山道は知らないと言っていました。
スズタケの先に見付けたふみ跡を登って行くと朽ちかけた丸太橋、じめじめしたふみ跡とさらに進むと目の前に急斜面が現れます。
ふみ跡はジグザグを切りながら左手の斜面を登って行きます。やがてトラロープが現れるとひと登りで峠にたどり着きました。ここから雑木林の稜線を登ると鹿嶺から続く小ピークにたどり着きました。
ここからは比較的歩きやすい稜線上の道です。しばらく歩く山頂標識が建つ鹿嶺の山頂にたどり着きました。西側が開けた視界の先には鋸山の岩峰、東京湾を挟んで白い雪を被る富士山がそびえています。その山裾に霞むのは箱根の山々、丹沢の山並みの前には三浦半島の山々も見付けることが出来ます。
鹿嶺からは枯葉に覆われた山道を下って行くことになります。やがて鹿避けのフェンスの脇を回り込むように下ると農業用のロープウェイにたどり着きました。
手作りのロープウェイは荷物などを運ぶためのもののようです。ここで右手の道を下って行きましたが道は竹藪の中を光顕寺の脇に下ってしまいました。当初は真福寺に下る予定でしたが最後にとんだ道間違いです。
帰りは近くの遺水神社に立ち寄って行くことにします。石段を登ると小さな社殿、さらに滑りやすい急坂を登って行くとお堂が祀られたピークの上にたどり着きます。目の前には先ほどたどってきた鹿嶺の稜線が見えていました。