車止め7:15-(0h45m)-馬立8:00-(0h30m)-1780m付近8:30/40-(0h50m)-2060m付近9:30/50-(0h35m)-唐沢小屋10:25-(0h20m)-2315mガレ場10:45/55-(0h45m)-女峰山11:30-(0h10m)-三角点峰11:40-(0h05m)-女峰山神社11:45/13:15-(0h30m)-唐沢小屋13:45-(1h30m)-馬立15:15/30-(0h35m)-車止め16:05
女峰山は男体山、太郎山とともに日光三山の一つに数えられる頂です。日光は神仏習合の霊場として古い歴史を刻むところで、中禅寺湖湖畔の二荒山神社には男体山の大己貴命、女峰山の田心姫命、太郎山の味耜高彦根命が主祭神として祀られています。また日光市街の輪王寺にはそれぞれの本地仏として千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音が祀られていると言います。
たどり着いた志津小屋近くの駐車スペースにはすでに数台の車が停まっています。昨年ここを訪れた時は林道工事のためかここから先は車の乗り入れができませんでしたが、今回は志津林道の車止めまで車を入れることができました。ゲート前には2~3台の車を停める駐車スペースがあります。
車止めからは芽ぶき色の落葉松林がまぶしい林道を緩やかに下って行きます。真っ白い花を付けらたシロヤシオの花も咲いていました。
男体山や女峰山はすでに活動が終わった古い火山で、その山肌には土砂の流出により深い爪跡が刻まれています。そのため山肌から流れ落ちる沢には砂防工事の堰堤が築かれていました。この林道もそのような工事のために造られたものなのでしょう。
しばらく林道を進むと野洲原林道の分岐点です。ここは道を左に、ゆるく登り返す林道は青空の下にそびえる女峰山の頂を眺めながら馬立を目指します。
馬立からは道標に導かれながら沢に向かって下って行きます。たどり着いた沢は雲隠滝や裏見滝がかかる荒沢の上流です。
ここからは唐沢小屋を目指しての登りが始まります。ミヤコザサに覆われた登山道は唐松林の中を緩やかに登って行きます。
次第に傾斜を増す登山道はコメツガの林の中を登って行くようになります。途中には真っ赤な蕾が開き始めたアズマシャクナゲの群生もありました。やがて登山道はコバイケイソウの斜面からガレた沢を渡ります。ここから涸沢小屋までは木の根が張り出した暗い急坂を登って行きます。しばらく登ると左手が崩れ落ちた沢の脇を登るようになります。登山道の下の土も崩れ落ち穴があいているようです。
やがて急な登りも一息をつき、暗いコメツガの林を登ると唐沢小屋にたどり着きました。ここは二荒山神社から登ってくる道を合わせるところす。この小屋は無人の避難小屋で30名ほどは泊れそうなところです。
唐沢小屋からもコメツガの中の登りが続きます。小屋の傍には壊れかけた不動明王像と石祠があります。石祠に収められている奉納札には二荒山惣禅頂修・・と書かれています。禅頂は日光を開山した勝道上人が山岳修行した道をたどるもので、5月の末に登った地蔵岳や薬師岳もまた禅頂行者道の一部と言います。
コメツガの急坂に息を切らせると大きなガレ場にたどり着きます。ガラガラと崩れそうな岩屑の斜面は確かに事故が起こりそうなところです。舞い上がるガスの中、ガレ場を横切ると今度は急な岩場の登りです。
岩場の先はふたたびコメツガの中の登りになります。やがてシラカバなどの灌木が目立ち始めるようになると女峰山神社の前にたどり着きました。山頂は左手の岩峰の上にあります。巻き上がるガスに覆われ南側の視界は全く期待できません。北に目を移すと雲の間から田代山や帝釈山、その先には白い雪を被った会津駒ヶ岳の頂が見えていました。
三角点は赤薙山から登ってくる稜線の上にあります。まだ残雪の残る稜線を進むと小さな頂の上に2等三角点がありました。
平日にもかかわらず山頂には数人のハイカーが。山頂から往路を戻る人、帝釈山、富士見峠へと下って行く人もいます。
二荒山神社から登ってきたという中年のハイカーはかなり健脚のようで、女峰山から三本松まで抜けたことがあると言っていました。足ごしらえは沢ソックスにサンダル。昔は草鞋で登ったのだからこのほうが良いとか言いていました。
女峰山からは往路をたどり馬立へ戻ります。途中のガレ場の下りは気の抜けないところです。滑落と言うことはないでしょうが転んだら怪我だけでは済みそうにありません。
登りでは息を切らせながら登ってきた道も帰りは楽なもの。最後の沢からの登り返しに汗を流すと馬立にたどり着きました。ここからは真っ白なガスに覆われた林道を車止めに戻りました。