志津乗越-(1h05m)-5合目2150m-(0h45m)-8合目2370m-(0h30m)-男体山山頂-(0h50m)-7合目2240m-(1h00m)-志津乗越
男体山、女峰山、太郎山は日光三山と呼ばれ古くからの信仰の山です。その盟主である男体山は二荒山神社の御神体として崇拝され7月31日から1週間、登拝登山も行われています。
志津乗越の駐車スペースにはたくさんの車が停まっています。ここから女峰山へ向かっているハイカーも多いようです。
志津乗越から男体山登山口の標柱に導かれシラビソの林の中に入ると、二荒山神社の志津宮が祀られています。その傍らには建つログハウス造りの志津小屋は避難小屋として利用されているようで中には鍋や釜などのほか布団も用意されていました。
ここからはシラビソの林の中を登って行きます。1合目、2合目と印された標柱に励まされながら高度を上げていきます。
五合目の標柱から少し登った道端で一息を入れてから急になった登りに汗を流すと鼻毛ノ薙。日光の山々には赤薙やハガタテ薙など崩壊した山肌が目立つ山が多いようで、明智平から眺める男体山も大薙や観音薙などが山肌に深く爪痕を残しています。ここもまたそのような薙の一つです。
ここから急になった斜面を登って行くと稜線の肩にたどり着きます。男体山は約7000年以前に噴火した古い火山で、中禅寺湖や華厳ノ滝はその時の噴火により造られたものと言います。山頂直下の大きな噴火口は北側が崩壊して目の前に広がる複雑な地形を構成しています。
明るくなった稜線を登って行く登山道は思いのほか急な登りです。途中には固定ロープが張られているところもあります。
小さなケルンが積まれた九合目は視界が開けるところで、眼下には緑に包まれた戦場ヶ原。金精峠から続く稜線の上には温泉ヶ岳や根名草岳、頭を雲に隠した頂は関東以北での最高峰となる日光白根山、その先には燧ヶ岳など尾瀬の山々も霞んでいるようです。
ここからは火口壁の縁をめぐるように山頂への道が続いています。左手に広がるコメツガの林の中にはコバイケイソウの群生もありましたが花の時期はまだ先なのでしょうか。
天に向かってそびえたつ剣が祀られた岩塊が男体山の山頂です。山頂標識の傍には1等三角点がありました。三角錐の形をした三角点は珍しいと思いながら近づくと誰が悪戯したのか三角形の石の帽子が載せられていました。
山頂には二荒山神社の奥の院と二荒大神の神像が祀られています。目の前には巻き上がる雲の間から中禅寺湖の湖面、その先には社山から黒檜山の稜線は黒く続いています。その先には足尾鉱山の公害で痛々しい山肌を見せる備前楯山が見え隠れしていました。
しばらくすると巻き上がる雲が日差しを遮り少し肌寒くなってきました。汗にまみれながら登ってきたのが嘘のようです。天気予報では遅くなると山沿いでは雨が降るところもあるようです。往路をたどり志津小屋へ下ることにしました。
たどり着いた駐車スペースでは宇都宮ナンバーの若者が女峰山から下山をしてきたところです。話を聞けば休みを入れないで往復6時間、女峰山に向かうにはよほど早めに出発しなければ無理のようです。紅葉の時期、前日山麓でテントを張るなどして山頂を目指すことにしたいと思いながら自宅へ道を急ぐことにしました。