参道わき駐車場~(0h25m)~奉幣殿~(0h20m)~中津宮~(1h25m)~英彦山神社(中岳)~(0h15m)~南岳~(1h20m)~鬼杉~(0h55m)~玉姫神社~(0h50m)~奉幣殿~(0h10m)~登山道わき駐車場
英彦山は羽黒山、熊野大峰山とともに日本三大修験山に数えられ修験道の山です。また高尾山、鞍馬山、迦葉山などとともに肥前坊と呼ばれる天狗が住む山と伝えられるところです。
国道500号線から英彦山神社を目指して登って行きます。途中で道を間違えながら銅鳥居から道を右に折れると英彦山スロープカー駅です。駅の人に聞くと近くに無料の駐車スペースがあるとか。ここに車を停め参道を登って行くことにしました。
英彦山神社への参道は石畳の道で両脇には古い僧房が建っています。今なおお客さんを迎えている所もあれば苔むした石垣が残るだけの所もあります。僧房の歴史を紹介した案内板が掲げられていますが、何れも古い歴史を今に伝える所のようです。
やがて参道は急な石段を登って行くようになります。途中には旧亀石坊庭園や古い宝篋印塔など見所は色々あるようです。
たどり着いた英彦山神宮は奉幣殿とも呼ばれ、朱塗りの拝殿には大きな鈴が掲げられています。神仏習合の山として栄えた英彦山の歴史を物語るように鳥居の脇には鐘楼も残っていました。
登山道は奉幣殿脇の石の鳥居から始まります。急な石段を登ると右手へ鬼杉へと続く道が分かれていました。晴れると予想されていた天候は回復が遅れているようで辺りはガスの中、昨日は強い風が吹き抜けていたようで登山道には小枝が散乱しています。
ジグザグを切りながらの登って行く道は下社へ。ここからも暗い杉林の中を登って行く登山道が続いています。途中には小さな鎖場もある急な登りです。
やがて登りも一服すると中津宮にたどり着きました。真新しい石祠は英彦山12社の一つ、平成3年の台風で倒壊したものを再建したと言います。
ここからは緩やかに登る参道が山頂へ続いています。杉の樹林帯を抜け稜線上を歩いているようですか相変わらず立ち込める霧の中に視界は全く期待できません。
しばらく登った稜線には稚子落としの案内板があります。鍋島藩主鍋島清久が子どものとき、誤ってここから落ちたと言います。無事に助かったのは英彦山権現のおかげと、英彦山権現を崇拝したと伝えられています。霧に霞む崖の先には切り立った岩場も見え隠れしているようでした。
緩やかに登った広場は産霊神社です。行者堂とも呼ばれる神社で修験道時代には役ノ行者の木像が安置されていたと言います。傍の小さな社の脇に水場もありました。
明るくなった参道を登って行くと中岳の山頂です。山頂には大きな英彦山神社の上社が建っています。厳しい雨風を防ぐのか、社全体が板壁で覆われています。
英彦山山頂の標柱は中岳から一段下った広場にあります。避難小屋も建つ広場にはベンチなども置かれ、若者たちが昼食を楽しんでいました。最近は若いハイカーも多く見かけるようになりました。彼らは北岳をたどり高住神社へ下って行くようです。
我々は中岳からは南岳に向かいます。一度小さく下って登り返した山頂には石祠と一等三角点がります。展望台が建てられていましたが崩壊しそうと言うことで登ることができません。山頂周辺の木々も枝を伸ばし、ここから見えるという中岳の山頂は枝の先に隠れていました。
南岳からは急な坂道を下って行きます。しばらく下るとガイドブックにも紹介されている鎖場が始まります。それほど危ないこともないようですが最後は20mほどの長い鎖が続いていました。
登山道は下るにつれ荒れています。崩壊して付け直されている所も彼方此方に、昨日の台風で川状態になっている所もあります。
ようやくたどり着いた鬼杉。見上げる巨木は高さ38m、幹の周りは12.4m、推定樹齢は1,200年とか、まさに平安時代の初めからこの地に根を下ろし歴史の流れを眺めていた杉でしょう。
ここからも荒れた道が続きます。鬼杉の前にそそり立つ大きな岩を巻くように木の根が張り出した急坂を登って行きます。途中には固定ロープも張られていました。一度沢に下りた登山道は再び小さな稜線を越えて行きます。杉林の中を下って行く道は倒木に覆われ途中で道を失いそうです。
幾つかの沢を越えたどり着いた大きな般若岩の下には玉屋神社が祀られていました。ここは法蓮上人が修行したと伝えられる岩屋で傍には不増不減の清水が湧き出しています。案板によると大和の金剛山、近江の竹生島とともに日本三大霊水と言われているとか。
案内板には途中に痩せ尾根があるように書かれていましたが、なだらかに杉林をたどると木立の先に奉幣殿が見えてきました。
奉幣殿で最後の一休みをしたのち車を停めた駐車場にたどり着きました。近くのお寺からは夕時の鐘が聞こえていました。