池の原園地-(0h40m)-仁田峠駅-雲仙ロープウェイ-妙見駅-(0h10m)-妙見岳-(0h40m)-国見岳-(0h55m)-普賢岳-(1h10m)-仁田峠-(0h40m)-池の原園地
島原半島の中央に位置する雲仙岳は普賢岳を主峰として国見岳、妙見岳などに峰々からなる火山の山です。古くから活発な火山活動が発生し1792年(寛永4年)には大地震により眉山の山体崩壊が発生。これにより発生した大津波は熊本を襲ったと伝えられています。「島原大変肥後迷惑」はこの時の状況を語り伝えたものです。
また1990年(平成2年)の噴火では平成新山が形成され、翌年6月に発生した大火砕流では多くの犠牲者が出したことは記憶に新しいところです。
諫早インターで一般道に降りたのち一般道で雲仙へ。ナビを頼りに国道を走ると吹越峠です。数年前までは有料であった仁田峠登山道は昨年4月から無料となったようで、ゴルフ場先の入口からは一方通行の観光道路が仁田峠へと続いています。
途中の第2展望所に立つと目の前に平成新山、右手には島原湾に向かい火砕流の流れ下った跡が今も谷を埋めています。普賢岳が198年ぶりに噴火したのは平成2年11月。平成3年6月には平成新山の山腹で大火砕流が発生し40人を越える死傷者を出したことは今も記憶に残っています。
たどり着いた仁田峠には大きな駐車場がありました。しかしここはロープウェイを利用する観光客用の駐車場で、駐車時間が長くなる登山者は池の原の駐車場から山道を登るようになっているようです。
池の原駐車場に車を停め仁田峠を目指すことにします。ここはハイキングなどで家族連れが楽しむところのようで、草原の園地ではボール遊びなどが出来るようになっています。石段が続く遊歩道は仁田峠を目指しジグザグに登って行きます。この道は仁田峠と温泉街を結ぶ古い道のようで道端には苔むした石仏なども見付けることができます。
仁田峠からはロープウェイに沿って登山道が続いています。しかし登山開始が遅くなったこともあり仁田峠からロープウェイで妙見岳に向かうことに下ました。妙見岳までは観光客もやってくるところで、山頂の展望台には若いカップルが展望を楽しんでいました。
妙見岳の先には妙見神社があります。ここから先は本格的な山道が始まります。道は緩やかに国見別れを目指して下って行きます。第2吹越峠へ下って行く道を左に分けるとやがて国見別れ。左手に分かれる道は国見岳を目指す急な登りです。途中には小さな岩場もある思いのほか急な登りです。
たどり着いた山頂は低い灌木に覆われた小さな広場で振り返ると妙見岳。左手には普賢岳のその上に平成新山の頂を一望することのできるところです。晴れているものの春先の白く濁った空の下では遠望は今一つ。濁った空の下に阿蘇の山並みが霞んでいるようでした。
国見岳からは紅葉茶屋跡に向かって急な坂道を下って行くことになります。たどり着いた分岐点からは露岩の多い急な坂道を登り返します。やかて国見岳の山頂が目の高さに地数いてくると登りも緩やかになってきます。固定ロープを頼りにひと登りをすると普賢神社が祀られた山頂の肩にたどり着きました。ここに祀られていた普賢神社は平成2年の噴火で焼失し、小さな石祠はその後再建されたものと言います。
1等三角点がおかれた普賢岳の山頂は大きな岩塊の上にあります。目に前には赤茶けた火山礫に覆われた平成新山が青空の下にそびえていました。山腹に目を移すと小さなハート型の石が。とこかのホームページで「ハート・ストーンを見ると、幸せになり、良い事があるそうです・・」と紹介されていましたがはたして。
普賢岳からはアザミ谷に下り仁田峠に戻ることにします。秋には紅葉の美しいところと言いますが今は枯葉が登山道を覆っているだけです。
あざみ谷の広場には普賢神社の鳥居が建っています。平成新山の噴火が始まるまではここから普賢岳へ登る登山道があったようですが今は通行禁止。案内板には「この先はへの入山は火山ガスおよび崩落の危険・・」と書かれていました。この山にはまだ彼方此方に噴火の爪跡が残っているようです。