英彦山は羽黒山、熊野大峰山とともに日本三大修験山に数えられ修験道の山です。また高尾山、鞍馬山、迦葉山などとともに肥前坊と呼ばれる天狗が住む山と伝えられています。
明治の廃仏毀釈により天台山伏の本山であった霊仙寺は分離され英彦山神社になりました。
石畳と石段の参道を登って行くと両脇にはたくさんの僧房が建っています。今なおお客を迎い入れている所もあるようですが、苔むした石垣が残っている所も多いようです。
また杉林の中には苔むした石垣や古い宝篋印塔も残っています。この参道は今なお古い歴史が息づいている所です。
たどり着いた奉幣殿とよばれる朱塗りの拝殿には大きな鈴が掲げられています。山岳信仰の山として栄えた英彦山の歴史を物語るように鳥居の脇には鐘楼も残っていました。
英彦山は北岳、中岳、南岳の3つの頂を持つ山です。奉幣殿から続く参道には下社、中宮(中津宮)が祀られ、中岳の山頂には上宮が祀られています。
また参道の途中には産霊神社が祀られています。ここは行者堂とも呼ばれる社で修験道時代には役ノ行者の木像が安置されていたところです。
南岳から奉幣殿へと向かう山道の途中には玉屋神社があります。ここは法蓮上人が修行したと伝えられる岩屋で傍には不増不減の清水が湧き出しています。案板によると大和の金剛山、近江の竹生島とともに日本三大霊水の一つと言います。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。
明治元年(1868年3月)、明治政府によって出された神仏習合を禁じた命令。これにより全国に廃仏毀釈(はいぶつきしやく)運動が起り神社と習合していた寺院の仏堂、仏像、仏具などの破壊・撤去された。