阿夫利神社9:50/10:05~蓑毛越え9:35/40~浅間山10:45~不動越え11:30~高取山12:00/13:05~念仏山13:55/14:10~吾妻山15:10/20~鶴巻温泉15:40
山の会の仲間と大山南尾根に登りました。伊勢原駅前で集合、神奈中バスはたくさんのハイカーを乗せ大山ケーブルに向かいます。ここからカーブルカー駅まではコマの石段を20分ほど、石段の両側には土産物屋さんや大山講の御師宿があります。
道端にはミカンが売っていたので思わず買ってしまいましたが重さは1.5Kgほど、今日はお雑煮とお汁粉の食材を背負ってきましたが、ミカンも入れたザックはかなり重くなってしまったようです。
たどり着いた阿夫利神社の下社は参拝客などで賑わっています。明日は節分、拝殿には白いフェンスで囲まれた桟敷が設けられ、行事司によって節分の豆が撒かれると言います。行事司は一般からも募集されているようで、拝殿にはたくさんの名前が書かれていました。
山頂へ向かうハイカーは登拝口の石段を登って行きます。我々は関東ふれあいの道の道標に導かれ蓑毛越えへ向かうことにします。
杉林の中の小さな岩場には鎖場、左手が切れ落ちた斜面にも鎖が張られています。鎖を利用するほどではないものの、人が多い登山道と言うこともあり良く整備されています。
たどり着いた蓑毛越えにはベンチがあります。右手の坂道を登って行くと2時間半ほどで大山の山頂へ、蓑毛へと下る道は40分ほどでバス停に下ることができます。
ここからは杉木立の中の道を下って行きます。マウンテンバイクなども走っているようで太い轍の後が残っていました。
浅間山は遠くからも目立つ電波塔が建つところです。建設用の舗装道路を超え杉木立の中の道を下って行きます。途中、送電鉄塔からは視界が開け白い雪を被った大きな富士山、その裾野には高松山や松田山など渋沢周辺の山が続いていました。
小蓑毛から登ってくる舗装道路を超えると不動越えです。藤棚付近で羽根尾道から蓑毛道と別れ、この峠を越え大山へと向かう坂本道があったと言います。峠に祀られた不動明王はいより不動明王と呼ばれていたと言います。
登山道は高取山への急な登り返しです。高取山の肩に立つと展望が開け目の前に大山、東京カントリーのグリーンの先には二ノ塔尾根、その上には富士山が白い雪を被ってそびえていました。
たどり着いた高取山の山頂には三角点があります。木立の間から振り返ると大山の頂、東側からは伊勢原の街並みが広がっています。
電波塔の傍に腰を下ろしお雑煮とお汁粉の昼食です。今日は4人、コッヘルも小さめ、小さなお餅は20枚ほど持ってきましたが多すぎたようです。
高取山からは念仏山に向かいます。山頂から僅かに下ると聖峰の分岐です。ここからは岩っぽい下りが始まります。木の根を頼りに下る急坂、固定ロープもありましたか雨の後はお世話になりそうなところです。
登山道は照葉樹の明るい雑木林の中をたどる道、小さなアップダウンを繰り返すと念仏山の登り返しです。
大きな山頂標識が置かれた山頂からは目の前に弘法山や権現山の頂が見えています。その先には箱根の山々のパノラマが広がっていました。
山頂で一息を入れたのち善波峠へと下って行きます。国道246号線の上を通る峠はかつての矢倉往還が通っていたところです。切通の傍には首の落ちた5体のお地蔵さんがが祀られています。
道標に導かれながら緩やかに下って行くと関東ふれあいの道の道標です。ここは弘法大師とさくらの道で、今たどってきた道は野菊と信仰の道として整備された関東ふれあいの道の枝線です。
念仏山からは歩いている人も多くなります。トレランの若者、散策に訪れるお年寄りなど、山道とは違い気楽な散策を楽しむこともできるようなアップダウンの少ない尾根歩きの道が続いています。
小さなアップダウンと幾つか越えると東海大学へと下る分岐、さらにコブを超えると吾妻山の山頂です。東屋が置かれた山頂は日本武尊が東征の途中、弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投じ荒れた海を沈めたとされる話が残るところです。
吾妻山の先から道を右に折れ僅かに下ると東名自動車道のトンネル、市街地をしばらく進むと鶴巻温泉駅です。阿夫利神社の下社からは歩程11kmほど、下りが多いものの歩き応えのある道でした。