阿夫利神社下社-(0h30m)-雷ノ峰尾根見晴台-(1h20m)-大山-(0h50m)-追分-(0h55m)-浅間山-(0h45m)-不動越-(0h30m)-高取山-(0h45m)-念仏山-(0h50m)-弘法山 -(0h20m)-権現山-(0h50m)-秦野駅
丹沢の東端にそびえる大山は阿夫利神社が祀られた信仰の山です。阿夫利神社の下社までケーブルカーが運転されていることもあり、子供やお年寄りまでが簡単に山頂に立つことのできる山として、週末には多くのハイカーで賑わっている山です。
大山の登山道としては表参道を登るもののほか、ヤビツ峠からイタツミ尾根を登るもの、日向薬師から雷ノ峰尾根を登るものなどが利用されています。この他には裏参道であった蓑毛越えから下社または山頂へと登る道もあります。またこの道は浅間山、高取山などをたどり秦野の権現山へと続いているようです。
今年は伊豆ヶ岳や戸倉三山など比較的長いハイキングコースを歩いています。今回は大山から権現山までの長い尾根を歩いてみることにしました。
伊勢原駅から出発した神奈中バスは、たくさんのハイカーを乗せて大山のケーブルカー駅へ。ここからはケーブルカーで阿夫利神社の下社を目指しました。
参拝客で賑わう下社の前から雷ノ峰尾根の展望台を目指すことにします。暗い杉林の中を登って行く道は二重ノ滝を左手に眺めながら尾根を巻くように登って行きます。緩やかに登る登山道には真っ白な雪が積っていました。
たどり着いた展望台は大山の山頂を見上げることのできるところで、ベンチとあずま屋が建っています。この付近は雷の多いところのようで、目の前のあずま屋に雷が落ち雨宿りをしていた登山者が死亡したのは1992年11月のこと。そのためもあってかあずま屋の屋根には避雷針が取り付けてありました。
ここからは明るい尾根歩きが始まります。丸太の階段が付けられた登山道は登るにつれて雪が多くなってきます。しかしたくさんの人が山頂を目指しているようで、踏み跡はしっかりと付けられています。
煤ヶ谷方面から登ってくる道を合わせると山頂の直下です。真っ青に晴れ渡った青空の下のそびえる大山の山頂には大きなパラボラのアンテナ。山頂一帯は真っ白な樹氷に彩られ輝いているようです。
たどり着いた山頂は週末と言うこともあってたくさんのハイカーで賑わっています。表参道を登ってくる人も多いようで広場のベンチは昼食を楽しむ人でいっぱいになています。ここは厚木方面の展望が開けるところで、目の前には山肌に雪を張り付けた大山三ッ峰の岩峰。その奥には仏果山や高取山などの低い山並みが続いていました。
山頂からは表参道を下って行くことにします。この時期、大山は気楽なスノーハイクが楽しめる山と言うことで、家族連れや若者のグループなど、たくさんのハイカーが石の階段を登ってきます。
ジグザグを繰り返しながら石段を下って行くと16丁目石碑の建つ追分です。案内板によるとこの石碑は江戸時代に建てられたものとか、クレーンなどの重機が無い時代、人の力だけでこのような大きな石を運ぶことは大変な作業であったのでしょう。
追分からしばらく下ると暗いスギ林の中には古い石柱が建っていました。かすれた文字は女人禁制。現在、女人禁制を守っているのは大峯山の山上ヶ岳と後山だけと言いますが、かってはこの山も女人禁制の歴史があったようです。
緩やかに下って行く登山道は首なし地蔵にたどり着きました。道端に祀られた数体の地蔵はこの道が古い信仰の道であったことを物語っています。明治時代の神仏分離令により、大山も阿夫利神社と大山不動尊とに分かれたという歴史が残っているようです。この道端に立つ首のないお地蔵さんもそのような時代の流れを見つめていたのかも知れません。
下るにつれ雪も少なくなり登山道も雪解けの泥道に変わってきます。少し下った峠が蓑毛越。蓑毛から阿夫利神社の下社へと続く峠で、関東ふれあいに道に大山参り蓑毛のみちとして選ばれたところです。
蓑毛越えの先が浅間山です。大きなパラボラアンテナの建つ縦走路上のコブといったところで、山頂を示す標柱はないもののアンテナの建物の裏に三角点があります。振り返ると大きな三角形のように雪を被った大山の山頂がそびえていました。
一度車道を横切った道は幅の広い防火帯のような道を緩やかに下って行きます。ここはバイクなどが入っているようでかすかに轍の跡も残っています。杉林の中を緩やかに下って行く道は伊勢原と蓑毛を結ぶ県道を越えます。その先の小さな峠は動越えです。右手の林の先には東京ゴルフ場のグリーンが広がり、プレーを楽しんでいる人の声も風に乗って聞こえていました。
ここからは高取山への登り返しが始まります。急な登りにひと汗を流すと広く開けた高取山の山頂にたどり着きました。三角点の建つ山頂は木立に覆われあまり展望は期待できません。
丹沢周辺には高取山が3つあります。この付近の山で鷹狩に使う鷹を取ったことから名付けられたか。仏果山周辺の高取山は半原高取山と荻野高取山、この高取山は伊勢原高取山として区別されているようです。
ここからは小さなアップダウンを繰り返しながら念仏山に向かって下って行くます。小さく登ったところが念仏山と言われるピークで、山頂を示す道標が建っています。右手のふみ跡の先には小さな石祠あり、念仏山の由来なども紹介されています。地図にも載っていない頂ですが地元の人には大切にされているところなのかもしれません。
念仏山手前の三角点をカメラに収めてから明るい尾根道を下って行くと善波です。国道246号線が下を通る峠は矢倉沢往還と呼ばれる古い街道が通っていたところとか。峠には古い切り通しも残っていました。
ここからは弘法山に向かいます。住宅地の中の散策路のような明るい道を緩やかに登って行きます。ここは近郊の人たちの散策路になっているようで、夫婦で散策を楽しんでいる人もちらほら。
たどり着いた弘法山はすでに夕闇が漂い始めていました。ここからは最後のピーク、権現山への遊歩道を下って行きます。目の前には真っ赤に染まって夕日が矢倉岳の山頂へ沈んでいます。三角形の頂に落ちるその姿は小さなダイヤモンド富士でしょうか。弘法山から富士山の山頂に日が沈むダイヤモンド富士を見ることができるのは1ヶ月後の3月23日の頃と言います。
辺りを夕闇が包み始めた権現山の山頂で最後の小休止です。目の前には秦野の街並みの明かりが輝いていました。
大山の山頂からおよそ12km。緩やかに下ってくる尾根道もなかなか歩きごたいのある道です。権現山から振り返る大山の頂は暮れ始めた空に大きな稜線を広げてそびえていました。