熊野神社 
弘和年間(1381~1384年)に祠を祀ったと言います。江戸期には、新橋五霊社、新橋神明社、新橋天神社などと共に阿久和村の鎮守社となっていました。
広い境内には拝殿や神楽殿がありました。
社伝によると、平安時代の安和の頃(958~970年)から当地区のハ々は、こんもりと茂ったこの森を「天神地祇の御座所」と歌い木を切ることを禁じて「まつりの場所」としていましたが、南北朝時代の弘和の頃(1381~1384年)に小さな社を建てて祀りました。
江戸時代には、阿久和を知行した安藤治右衛門定喬は社事に率先したといいます。現在の社殿は、明治6年(1873年)の建立で、拝殿は数々の彫刻で飾られています。
江戸時代から守り続けられている9月19日の例祭には、神職による「湯立神楽(湯花神楽》」、氏子による阿久和囃子が奉納されます。
神楽殿は、相模歌舞伎などを演じるための芝居小屋として昭和9年(1934)に建築されました。日本三大地歌舞伎の一つである相模歌舞伎は、地芝居として昭和30年代中頃まで演じられていました。その後、神楽殿は、地域の人々の踊りや歌など祭りの場として利用されてきました。
平成20年3月 横浜市教育委員会文化財課
関連記録・コース古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
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