熊野本宮大社 


 寺社の種類:式内社(名神大社)、旧官幣大社、別表神社
 創建の時期:崇神天皇65年と伝えられる
 主祭神:家都美御子大神
 社殿の様式:入母屋造(第一殿・第二殿)、切妻造(正面)・入母屋造(背面)(第三殿・第四殿)
 所在地:和歌山県田辺市本宮町本宮1100
 訪問日:2006年10月16日

 

熊野本宮大社は熊野速玉大社熊野那智大社と並ぶ熊野三山の一です。古くは熊野川の中州に祀られていましたが明治の水害で現在の地に遷宮されたと言います。

茅葺の山門
奉納幡がたなびく参道
四つの桧皮葺の社殿が並んでいます
第四殿は若宮といい、天照大神を祀るところ

鳥居の前の駐車場に車を停め、観光客で賑わう参道を登って行くと本殿の前にたどり着きます。境内で説明をしていた神職さんの話しではこの神社の主祭神は素戔嗚大神とされるがその実態は不明、この他4つの祭神が祭られているようで、3番目から2番目・・と順序良くお参りするのが作法とか。右手の外れにも注連縄が張られていましたが何が祭られていたのかよく判りませんでした。

関連記録・コース

 入母屋造(いりもやづくり)

寄棟造の上に切妻造を載せた形で社寺建築に広く採用されています。法隆寺の金堂や玉虫厨子などにみられる建築様式です。

 

 切妻造(きりつまづくり)

屋根を棟から両側へふきおろしその両端を棟と直角に切った屋根の様式。ちょうど本を開いて伏せたような形になります。

 

 入母屋造(いりもやづくり)

寄棟造の上に切妻造を載せた形で社寺建築に広く採用されています。法隆寺の金堂や玉虫厨子などにみられる建築様式です。

 

 素戔嗚尊・須佐之男命(すさのうのみこと)

日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。

高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。

 

 伊弉諾尊・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)

古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。

黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。

 

 伊弉冉尊・伊邪那美命(いざなみのみこと)

古事記に登場する神で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と結婚し、国生みと神生みを行った女神。火神を生んで死に黄泉国(よもつくに)を支配する黄泉大神となりました。

 

 天照大神、天照大御神(あまてらすおおかみ)大日女尊(おおひるめのみこと)・大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)

日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。

素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。

 

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