寛元元年(1243年)に相模国愛甲庄が熊野山領となっていたことから、熊野社が勧請されたのではないかと言います。江戸期には船喜田神社、厚木神社(牛頭天王社)と共に村の鎮守となっていましたが、明治6年厚木神社に合祀されて廃社となりました。明治中期に疫病が流行した際に再奉祀したと言います。
境内のイチョウは樹齢450年と推定される古木で厚木市の指定天然記念物です。この付近は、古くから熊野の森と言われ、渡辺崋山の「厚木六勝」図の一つ「熊林ノ暁鴉(ゆうりんのぎょうあ)」図として描かれています。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。