太宰府天満宮は菅原道真公を祀る神社で京都の北野天満宮とともに全国の天満宮の総本社としてたくさんの信者が参拝に訪れるところです。
観光客でにぎわう門前町を通り抜けると大きな鳥居、その先には石造りの太鼓橋がありました。
すでに時期は過ぎているようで、梅の花を見付けることはできません。
朱塗りの楼門を入ると正面に大きな拝殿があります。近くの幼稚園寺でしょうか、黄色い服を着た小さな団体もいました。
平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。
神社建築様式の一つ。屋根の前のほうが長く伸びて向拝をおおい、庇と母屋が同じ流れで葺いてあるのでこの名がある。
正面の柱が2本であれば一間社流造、柱が4本であれば三間社流造という。奈良時代末~平安時代に成立し広く各地に流布しました。
平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。