天満宮(金森天神) 
雷神さまとして祀られてきた小祠です。古くから地域の人々より落雷から守る神としてまた雨乞いの神として崇敬を集めたと言います。
明治39年8月、一村一社を基準とする神社合併の方針が示され、町田市域では明治44年に神社の合祀が行われました。金森村では西田地区の杉山神社、菅原神社、金山神社はそのまま温存されたと言います。
祭神は菅原道真公(菅公)で平安時代初期に学問の名家に生まれ、文章、詩歌に優れた才能を示し、政治家としては右大臣にまでなりました。
大変に教養があり、立身出世をした人で学問、文化の神様として仰がれています。(受験生が学業成就を祈願し目的達成を祈ります。)
縁日は毎月二十五日とされていますが、菅公の誕生と他界の日がその日にあたるためです。
神紋は梅で菅公が好み愛された花です。境内にはよく牛の像がありますが菅公が丑年生まれで牛を大切にしたと伝えられます。
亦筆塚に使い古した筆を納める風習のあることは菅公が書道の神としてあがめられているためです。 このように伝統のある天満宮は昭和六十二年三月金森・西田の氏子と金森三丁目崇敬者の協力のもとに修復造営が行われ齋主の願意を遠く後世にまで伝承するものであります。
昭和六十二年三月大吉 天満宮総代
関連記録・コース平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。