椚平・小床の鎮守として祀られた天神社です。参道の奥に簡素な社殿がありました。
飯能市史資料編によると、「醍醐天皇の延喜元年(901)菅公筑紫へ左遷に伴って当地に在住した一族の某が延長元年(923)菅公の帰京が許されたので、その某も、かねて大切にしていた筆硯を記念に残して帰京した。村人はこれを祠堂に納めて祀った。のち建久3年(1192)鎌倉へ伺いをたて、小祠を建替えて、当所の鎮守として、天満宮と称した。」とされています。
平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。