菅原神社 


 寺社の種類:村社
 創建の時期:天正年間(1573~1593年)
 御祭神:菅原道真
 本殿の形式:-
 所在地:東京都町田市本町田802
 訪問日:2022年5月23日

 

町田天満宮、南大谷天神社と共に町田三天神の一社。かつて現在の町田村の中心は本町田で、原町田が分村後は本町田村となりその鎮守を担いました。室町時代の古戦場であった井手の沢古戦場跡に鎮座し東京都旧跡に指定されています。

菅原神社の鳥居
境内の由緒書き
鳥居の先に石段
境内に御手水場
境内の倉庫
境内の参集殿
拝殿
拝殿に神額
神楽殿
迦具土神を祀る愛宕社
藤木稲荷社

井出の沢の古戦場は南北朝時代、中先代の乱の古戦場です。後醍醐天皇による建武の親政に不満が高まり、かつての鎌倉幕府執権、北条高時の子時行が、建武2年(1335)に反乱の兵を挙げました。信濃から鎌倉奪還を目指し南下した時行の兵は、井出の沢で足利尊氏の弟直義の軍勢を破り一時は鎌倉を支配しました。

 

関連記録・コース

 菅原道真(すがわらのみちざね)

平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。

のちに天満天神として崇拝されました。

 

 中先代の乱(なかせんだいのらん)

建武2年(1335年)鎌倉幕府滅亡後、復活の機をねらっていた北条氏残党の諏訪頼重らは、中先代(北条時行)を擁して信濃に挙兵し鎌倉を攻めたが、東下した足利尊氏に討たれて敗北した。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 北条高時(ほうじょうたかとき)

1303~1333年、鎌倉幕府第14代執権。北条貞時の子。14歳で執権となったが内管領長崎高資らに実権を握られ遊宴にふけったため幕政は混乱。元弘の乱後醍醐天皇を隠岐に配流し光厳天皇を擁立したが、新田義貞に鎌倉を攻められ東勝寺で自刃した。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 後宇陀天皇(ごうだてんのう)

第91代天皇(在位:1274年1月26日~1287年10月21日)亀山天皇の第2皇子。大覚寺統。1287年伏見天皇に譲位したが、その後続けて持明院統の後伏見天皇が即位したため、幕府に働きかけて後二条天皇を即位させて院政を行った。陵墓は京都府京都市右京区北嵯峨朝原山町の蓮華峯寺陵。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

 足利尊氏(あしかがたかうじ)

1305~1358年、室町幕府の初代将軍(在職1338~1358)元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをした。のち後醍醐天皇にそむき1336年光明天皇を擁立し室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し天竜寺などを建立。

 

 元弘の乱(げんこうのらん)・元弘の変(げんこうのへん)

1331年(元弘元年)後醍醐天皇によって起こされた政変。鎌倉幕府の討幕を企てて露顕し、天皇は捕らえられ隠岐に流された。天皇の隠岐脱出に呼応して諸将が蜂起、幕府は倒れ建武の中興をみるに至った。

 

 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)/尊治(たかはる)

第96代天皇(在位:1318年3月29日~1339年8月15日)後宇多天皇の皇子。大覚寺統。親政を企てて正中の変、元弘の変に敗れ、隠岐に流された。1333年脱出し新田義貞足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。

のち公武の不和から親政は失敗し尊氏らも離反、36年吉野に移り南朝を立てた。陵墓は奈良県吉野郡吉野町吉野山の塔尾陵。

 

 光厳天皇(こうごんてんのう)

北朝第1代天皇(在位:1332年9月20日~1333年5月25日)後伏見天皇の皇子。持明院統。後醍醐天皇の皇太子となり、元弘の変後、北条高時に擁立されて践祚。鎌倉幕府滅亡により退位。建武の新政失敗後に院政を行う。陵墓は京都府京都市右京区京北井戸町丸山の国山陵。

 

 新田義貞(にったよしさだ)

1301~1338年、鎌倉末期・南北朝時代の武将。元弘3年(1333年)鎌倉幕府を滅ぼし建武政権から重用された。のち足利尊氏と対立、兵庫で楠木正成(くすのきまさしげ)とともに九州から東上する尊氏と戦ったが敗れ、恒良・尊良両親王を奉じて越前金崎城によったが落城。藤島の戦いで討ち死にした。

 

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