菅原神社 
天澤院の裏手の急な石段を登ると古びた菅原神社の社、その左右には八坂神社や琴平神社遥拝所などの社が祀られていました。
現地の案内板には菅原神社、社の神額は天満宮となっています。天満宮は祭神として神仏習合の天満大自在天を祀る神社、菅原神社や天神社は神道色の神社と言います。戦後、菅原神社から天満宮に名称を変えた神社も多くあるようです。ここにも明治の廃仏毀釈の歴史の跡が残っているようです。
遥拝所として崇拝した琴平神社は日の出山へと登って行く登山道にある神社、かつては金毘羅大権現と呼ばれていました。この周辺は養蚕が盛んであり養蚕の神として祀られていた神社と言います。
祭神
菅原道真
鎮座
永禄四年(西暦一五六一年)と推定される
沿革
「梅と菅公」・私達の故郷は、古くから梅と菅原神社で栄えてきました。
平安時代の学者で政治家でもあった道真公を祀る当神社は、学業の向上を願う人、進学、受験合格を祈願する人が、筆や鉛筆に半紙を巻き、紅白の水引を掛けたものを奉納したものです。
天神様にお参りして、大願成就祈願をいたしましょう。
平成二十五年四月
祭神
素戔嗚尊(須佐之男命)
鎮座
寬政十一年(西暦一七九九年)と推定される
沿革
古くは、下山八幡神社と琴平神社を結ぶ山道の中央にある天王山に鎮座していたものを、現在地に移した神社です。
京都祇園の八坂神社が、厄除けの神として崇敬されていることから、当地に疫病が発生した際、病魔退散を願って勧請されたと伝えられています。
当社は、厄除けの神として毎年七月十五日を大祭日としていました。当日は、村境の道の両側に若竹を二本立て、〆縄を張って他所より疫病、病魔の入ることを防ぎ、この土地で収穫した胡瓜やトマトの新鮮な野菜をかじりながら、御神酒をいただいたものです。
現在は、昭和五十二年春の吉日から、当社と菅原神社および琴平神社三社の合同大祭を行っております。
平成二十五年四月
祭神
大国主命?崇徳天皇
鎮座 不詳
沿革
本社は梅郷を一望し、常に氏子を見守ることのできる厳山の頂上(遥拝所の真向い、直線で約三〇〇メートル)に鎮座しており、古くは「金毘羅大権現」と呼ばれていました。明治以降は、「琴平神社」と呼ぶようになりました。
当地は、戦前まで養蚕が盛んで繭の生産が氏子の生活の支えであり、産業の中心でありました。増殖豊産の産土神として崇敬されていた当社には、繭の豊作を祈願する人が多く、繭の当たり年にはお礼に猫の焼き物が奉納されたものでした。
(猫は、天敵であるネズミから繭を守ったものと伝えられております。)
現在も、商売繁盛を祈願する人が多くみうけられます。日々ご繁栄ありますようお参りいたしましょう。
平成二十五年四月
関連記録・コース平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。