天澤院の裏手の急な石段を登ると古びた天満宮の社、その左右には八坂神社や琴平神社遥拝所などの社が祀られていました。
現地の案内板には菅原神社、社の神額は天満宮となっています。天満宮は祭神として神仏習合の天満大自在天を祀る神社、菅原神社や天神社は神道色の神社と言います。戦後、菅原神社から天満宮に名称を変えた神社も多くあるようです。ここにも明治の廃仏毀釈の歴史の跡が残っているようです。
遥拝所として崇拝した琴平神社は日の出山へと登って行く登山道にある神社、かつては金毘羅大権現と呼ばれていました。この周辺は養蚕が盛んであり養蚕の神として祀られていた神社と言います。
平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。