天慶年間、上総介平良文が霊夢を受けて天神をこの地の鎮護として祀ったのがはじまりと伝わる神社です。
社殿は天明元年(1781年)に再建され、石造鳥居は天保11年(1840年)に建立されたと言います。
境内には仙元大菩薩の石塔があります。仙元大菩薩は富士講の石碑で、鎌倉にも富士講が盛んであったのでしょう。
平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。