防府は周防国府が置かれたところで中世から防府と呼ばれていました。防府天満宮は京都の北野天満宮、福岡の大宰府天満宮とともに日本三大天神といわれる天満宮で、大宰府に流される菅原道真が立ち寄ったところと言われています。
朱塗りの楼門をくぐると青空の下に鮮やかな拝殿が建っていました。折から菊祭りが開かれているようで、境内には大輪の菊が奉納されていました。
またここ防府は放浪の詩人、種田山頭火の故郷です。旭川ラーメンでお馴染みの山頭火の店先に書いてありましたが、山頭火は酒で身を持ち崩し西国を中心に放浪をしながら俳句を作った人とか。
「朝は澄みきっておだやかな流れひとすじ」など、俳句と言うより自然の情景を直感的に表現する散文詩のような句を多く残していると言います。
平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。
平安前期の公卿、学者、文人。845~903年。宇多天皇の信任が厚く、藤原氏を押さえるため藤原基経の死後蔵人頭(くろうどのとう)に抜擢されましたた。延喜元年(901年)藤原時平の中傷により大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され配所で没しました。
のちに天満天神として崇拝されました。