二宮駅10:10~等覚院藤巻寺10:40~浅間神社11:10~車坂の碑~大山道道標~長泉寺~国府津駅11:50~親木橋~小八幡八幡神社~三宝寺12:25~大見寺~法善寺~法船寺~酒匂橋13:05~常顕寺~呑海寺~弘経寺~心光寺~山王神社13:50~宗福寺~江戸口見付~誓願寺観音堂~松原神社14:25~居神神社14:50~香林寺15:00/05~常光寺~板橋地蔵堂15:20~箱根湯本駅16:15
東海道の街道歩き、今回は二宮駅から歩き始めます。途中には小田原宿があります。今日の小田原は松原神社、厄神神社などでお祭りが開かれています。新型コロナなどでお祭りが中止されたり規模が縮小されたりしていましたが、今年からは例年通りのお祭りができるようです。
二宮の駅前からは東海道の先に大きな箱根山、二子山の山頂には電波塔のアンテナも見えています。
背丈が低くなった街道沿いのお店屋さん、古い平屋建ての建物も目に付きます。
国道1号線を離れ旧街道を歩くと藤巻寺です。境内には樹齢400年という白フジがあります。例年はゴールデンウィークころ満開と言いますが藤棚の下に花柄が残っているだけでした。
東海道に戻り車の流れも激しい舗装道路歩きです。しばらく歩くと押切坂の下り、箱根の山々が大きくなってきました。
押切川を超えると浅間神社です。参道の先には瑞垣を巡らせた拝殿があります。境内には近くの道祖神や庚申塚を集めたたくさんの石仏が祀られていました。
車坂の碑には太田道灌や源実朝の和歌が紹介されています。実朝の和歌は箱根、伊豆の二権現に参拝したとき、洪水で前川を渡れなかったことを謡ったものとか、当時の東海道の往来はかなり大変だったのでしょう。
道端に建つ大山道の道標は不動明王を頭に載せたもの、国府津の羽根尾と秦野の曽屋(十日市場)を結ぶ20kmほどの道で羽根尾通りと言います。矢倉沢往還は江戸時代に整備された街道で、江戸の赤坂門から相模国の足柄峠を経て駿河国沼津宿を結ぶ道です。東海道の脇往還としても機能していました。大山講など大山への参詣が盛んになると参詣道として使われ大山街道、大山道とも呼ばれました。
大山道には青山通り、府中通り、八王子通り、柏尾通り、田村通り、蓑毛通り、六本松通りと羽根尾通りの8本の道があったと言います。
国府津駅を超えると小田原です。さらにしばらく歩くと親木橋、西湘バイパスの国府津インターがあるところです。
ここからは小幡八幡神社や三宝寺、善宝寺などの神社やお寺があります。境内に墓地を持ち地元に根付いた檀家寺などでしょう。苔むした石仏や供養塔がその歴史を語っているようでした。
酒匂川を超えると小田原の市街です。近くに新田義貞の首塚があるようでしたが見つかりませんでした。建武の中興で活躍した新田義貞は越前国藤島で討死しました。義貞の首塚は全国に幾つかあるようですがここもその一つ、家臣宇都宮泰藤が首を奪い返し上野国に戻る途中、この地に埋めたとされているようです。
この周辺にも呑海寺、弘経寺、心光寺など地元のお寺があります。
山王川の傍には山王神社があります。豊臣秀吉による小田原攻めのときは徳川家康が陣を敷いたところで、家康が毎日山王神社にお参りしたと伝えられるところです。
境内には昼間でも星が映るという星月夜の井戸があります。この日は山王神社のお祭りが行われているようで境内にはお神輿が出されていました。
しばらく歩くと新宿の公民館です。ここは小田原宿の江戸口見付、小田原城の総構ではここに土塁があったと言います。
近くには松原神社があります。後北条氏や稲葉氏、大久保氏からも崇敬された小田原宿の総鎮守の神社です。
神社の傍の小路にはたくさんの出店が立ち並び、祭り半纏を着込んだ人や家族連れで神社の境内は賑わっています。町内会でお神輿を担いでいるようで、笛や太鼓の音が風に乗って近付いてきます。
小田原宿なりわい交流館からしばらく歩くと居神神社です。この神社でも今日がお祭り、小さな子供が引く子供神輿が街をねり歩いていました。
板橋の交差点から国道1号線を離れた旧東海道を歩きます。ここにも香林寺や常光寺などの古いお寺があります。
大きな大黒天が祀られるのは板橋地蔵堂、安置されている延命子育地蔵菩薩は弘法大師の作と伝えられています。
しばらく旧東海道に道をたどると国道1号線、右手には箱根登山鉄道の風祭や入宇田の駅があります。たくさんの観光客でにぎわう鈴廣かまぼこの里もあります。
やがて早川の先に湯本の温泉街が見えると程なく箱根湯本駅です。駅はたくさんの観光客でにぎわっていました。
この次は箱根湯本から芦ノ湖まで、12kmほどの山道です。途中には石畳や甘酒茶屋などがある道です。