平和島駅9:50~大林寺10:15~京急蒲田駅10:35~六郷神社11:15~六郷橋11:40~大鷲神社・稲毛神社11:50/12:10~鶴見橋13:00~京浜鶴見駅13:20~総持寺13:35/14:10~龍泉寺14:30~安養寺14:40~生麦杉山神社14:50~生麦事件碑15:35~一之宮神社16:05~子安駅16:25
東海道の街道歩き、今回は京急の平和島駅から歩き始めます。第一京浜は相変わらず車の流れが激しいところです。道の両側には中層階のマンションなどが立ち並んでいます。
しばらく歩くと大林寺です。ひっそりとしたお寺は地元の檀家寺でしょうか、山門脇の案内板には「寺空間らくご」の案内が貼ってありました。お寺の書院で開催する地域に密着した寄席というところでしょう。
ここからも車の流れが激しい第一京浜を横浜を目指して歩いていきます。大きな京急蒲田駅を超えると六郷神社です。小学校や幼稚園など少し判り難い小路の先に神橋と鳥居があります。幼稚園の散歩道となっているようで、保育士に手を引かれた子供が列を作っていました。
境内には六郷橋の親柱があります。かつての六郷は渡し舟でしたが明治になると木の橋が架けられました。境内にある六郷橋の親柱は明治30年にかけ替えられた六郷橋の親柱と言います。
童謡にも「六郷渡れば川崎の・・・」と歌われるように六郷は東海道の要衝としての歴史を今に伝えるところです。
六郷橋は左手に歩行者用の階段があります。河原には野球場や河川敷公園、遊歩道などが整備されていました。
多摩川を渡ると程なく川崎宿、旧東海道はたくさんの人で賑わう繁華街となっています。米屋は川崎宿にあった大きな茶店、東海道膝栗毛で弥次さん、喜多さんが食べたという奈良茶漬けで有名で知られています。童謡では「つるとかめとのよね饅頭」と歌われていました。鶴見の菓子店では復刻された「よね饅頭」が売られていると言います。
川崎宿のはずれには稲毛神社があります。境内には大きな銀杏の古木、たくさんの摂社が祀られた神社です。
境内には六郷橋の親柱があります。こちらは大正14年(1925年)に完成した鉄構造の六郷橋の親柱で、近代化遺産として再現整備したものと言います。
京浜鶴見駅からは総持寺に向かいます。総持寺は永平寺とともに曹洞宗の大本山です。もともとは石川県能登にありましたが明治44年の火災で焼失し鶴見に移転してきました。仏殿を中心とし禅宗特有の七堂伽藍を備えた大きな寺院でが比較的新しい建物が多くあります。
参道の両脇は鶴見大学・短期大学の校舎が立ち並んでいました。長い参道を登っていくと山門、その先には見上げる三門があります。境内の大きな鉄筋コンクリーの建物は三松閣、檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場となっているようです。かつて写経に参加させていただいたとき、ここで精進料理をいただいた記憶がよみがえってきます。
参道脇には見上げる平和救世観音はあります。東日本大震災の震災慰霊のため仏殿脇にあった観音菩薩像を移設したものとか、近くには祈りの鐘もありました。
花月総持寺駅の前を進むと安養寺と鶴見七福神の弁財天堂、その先の細い参道を登っていくと杉山神社です。鶴見川周辺に点在する杉山神社の一つです。急な石段を登ると大きな拝殿がありました。
キリンビールの横浜工場の傍に生麦事件の碑があります。幕末のころ薩摩藩主島津茂久の父、島津久光の行列に遭遇した騎馬のイギリス人たちを供回りの藩士たちが殺傷した事件で、薩摩藩とイギリスとの間で勃発した薩英戦争の原因になった事件です。
今回の最後は一之宮神社です。一之宮は地方に赴任した国司が最初に参拝する神社です。ここは武蔵の国一之宮である氷川神社の分霊を祀ることから一之宮神社と称しています。
今回の歩程も20kmほど、物見遊山が多いこともあるのかなかなか進まない街道歩きでした。