東海道・茅ヶ崎から二宮 


 歩行時間:行動時間 6:00、歩行時間5:45
 歩行距離:19.5km
 累積標高差:+102m、-89m
 往路:JR湘南ライン・茅ヶ崎駅、復路:JR湘南ライン・二宮駅
 訪問日:2023年5月2日

 

 コースタイム


茅ヶ崎駅10:00~第六天神社~鶴嶺八幡宮11:00~神明大神~相模川橋脚11:35~上国寺~信隆寺~相模川12:05~馬入一里塚~平塚駅12:35~平塚宿京方見附13:05~善福寺~高来神社13:20~化粧井戸~化粧坂ベンチ13:40/45~神明神社~大磯宿本陣14:00~明神社14:30~大磯城山公園前14:30/40~宝積寺~六所神社15:20~蓮華院~塩海橋15:55~二宮駅16:00

 

 東海道街歩き・茅ヶ崎から二宮


東海道の街道歩き、今回は茅ヶ崎駅から歩き始めます。途中には七夕で有名な平塚、吉田茂首相の自宅があった大磯があります。

茅ヶ崎の駅前には上野寛永寺に奉納された4基の石塔がありました。寛永寺は徳川将軍家の菩提寺で各地の大名は競って大きな灯篭を奉納したと言います。茅ヶ崎市のホームページによるとこの石灯篭は戌辰の役、関東大震災や戦災などで被害を受けた寛永寺への再建寄付の返礼として贈られたものと言います。上野から茅ヶ崎までの輸送はかなり大変だったのでしょう。

車の流れも激しい東海道を西へ、十間坂には第六天神社が祀られています。神仏混合の時代には第六天を祀っていた神社です。神社の案内によると第六天社は祠のような社も含め全国に300社とか、分布は西日本には少なく、東京と千葉に多いといます。神奈川では宗教法人格を持つ神社が2社と書かれていました。

茅ヶ崎の駅前
旧寛永寺の石塔
第六天神社の石鳥居
第六天神社の拝殿

境内にいたお年寄りは神社の方でしょうか、第六天のお話をされていました。若いころバイクで野宿を繰り返しながら九州まで行ったと言っていました。

小さな橋を渡ると鶴嶺八幡宮の大きた鳥居が建っています。松並木の参道をしばらく歩くと広い境内です。鶴嶺八幡宮は、源頼義が平忠常の乱を鎮圧する際、懐島郷矢畑に京都の石清水八幡宮を勧請したのが始まりと伝えられています。

鳥井戸橋から眺める富士山
鶴嶺八幡宮の参道
鶴嶺八幡宮の拝殿
淡島神社にがん封じの祈願石

ご神木という大銀杏は神奈川の銘木100選に選ばれたものです。また摂社の淡島神社にはがん封じの祈願石があります。なぜか願いが書かれた鳩みくじが供えられていました。

小出川の川岸に旧相模川橋脚があります。関東大震災の時、液状化した畑の中から現れたもので、浅い池の中に橋脚のレプリカがありました。条件が良ければ泥の中の木は長い年月腐らずに残るようです。最近では鎌倉時代のものと言われる出雲大社の3本組の柱が発見されたという話も記憶に残っています。

日本橋まで60kmの道標
旧相模川橋脚
浅い池に橋脚のレプリカ
相模川の鳥観図

レプリカの下には発見された橋脚が埋まっていると言います。現在の相模川はここから2.5kmほど西を流れています。長い年月の間、その流れは大きく変わたのでしょう。

上国寺信隆寺などの寺院を超えると相模川です。広い川岸は海から近いこともありトレーラーに載せられたたくさんのボートが並んでいました。

相模川からは平塚市です。馬入一里塚は日本橋から15番目の一里塚と言います。

相模川の河原にたくさんのボート
馬入一里塚
平塚駅
国府祭の案内板

やがて左手は平塚駅です。5月5日には国府祭が行われるためこの周辺は通行止めになると言います。国府祭では座問答が行われ、寒川神社川匂神社をはじめとする神社の神輿が神揃山に集まると言います。平塚八幡宮の神輿も参加するのでしょう、街角には国府祭の案内が貼り出されていました。

湘南ひらつかのマンホール
消防団の会館には火の見櫓
平塚宿の京方見付址
花水橋の先に湘南平

湘南平の山が大きくなると花水川、川を渡ると善福寺です。境内の岩山には古墳時代の横穴墓があります。岩が劣化しているのか立ち入り禁止のロープが張られていました。

善福寺の山門
境内に古墳時代の横穴墓
大磯のマンホール
高来神社の石鳥居

高来神社は湘南台の山裾に祀られた神社、高句麗が新羅・唐の連合軍に滅ばされたとき、その王族である若光を中心とする高麗人が大磯に渡来したことに由来すると言われています。その後若光一族を含めた各地の高麗人は武蔵国高麗郡に集められ、高麗神社が設立されたと言います。

やがて道は国道1号線を離れ化粧坂へ。途中にある井戸は化粧井戸と呼ばれ曽我兄弟の兄十郎祐成の妾、虎御前がこの付近に住んでいたとされるところです。

東海道五十三次にも描かれた虚空蔵堂
国道一号線を離れ化粧坂へ
化粧井戸
化粧坂の一里塚

かつての大磯宿の中心はこの周辺にあったようで安藤広重・東海道五拾三次・大磯虎ケ雨の案内板が建っていました。

東海道線の線路をくぐりると再び国道1号線、車の流れも激しい国道沿いには大磯宿本陣の道標があります。街並みも背丈の低い2階建てで古い街並みを感じさせてくれます。

東海道五十三次大磯・虎ヶ雨
再び国道一号を合わせ
神明神社の鳥居
大磯北組問屋場

道端には大磯北組問屋場跡の案内板があります。案内板には大磯から小田原間のお定め駄賃が書かれています。弘化二年(1845年)の馬掛荷人共277文となっています。江戸時代の1両は4000文、1両の価値は時代など変動があり一概に比較はできないようですが13万円くらいという試算もあるようです。この試算では9千円ほど、果たしていくらくいで小田原まで馬で行けたのでしょうか。

大磯からは明るい街道歩きです。近くを湘南バイパスが通っているところで標高は10~20m程です。東日本大震災で甚大な被害を受けた津波に対する危険から道路に沿って浸水想定地域が表示されています。何時かは南海トラフの地震が襲ってくることになるでしょうが被害が少ないことを願うところです。

本陣の案内板
道端に湘南発祥の地の石碑
大磯の上方見附
OOISOの花壇

暫く歩くと東海道の松並木が残っています。ここは大磯から続く関東ふれあいの道の一部、近くには大隈重信邸や古河邸、伊藤博文の滄浪閣などがありました。

やがて道は城山公園へ、左手は吉田首相邸があったところです。今は公園となっている吉田茂亭跡には太平洋を眺める吉田茂の銅像があった記憶が残っています。

東海道の松並木
城山公園の駐車場
六所神社へと続くアンダーパス
宝積寺の石柱

国道1号線をしばらく歩くと六所神社入り口の大きな鳥居です。六所神社へのアンダーパスの傍に宝積院があります。境内に六地蔵などがあるお寺には町内最古の梵鐘が、梵鐘の銘文には国衙に勤務する役人が「在庁」の文字が刻まれていると言います。この鐘が造られたころ相模の国府は大磯にあったということのようです。

アンダーパスをくぐると六所神社、相模国一宮から四宮および平塚八幡宮の祭神を合祀する相模の国総社です。大化の改新後の時代、任地に赴任した国司は国中の神社に神拝しなければなりませんでした。平安中期以降、総社ができたことにより総社を参拝することになったと言います。

宝積寺の本堂
宝積寺の鐘楼
六所神社
六所神社の拝殿

数日後には神揃山で国府祭が開かれます。境内ではその準備が行われていました。

池の中に竜神仁社
境内では国府祭の準備
蓮華院の石段
蓮華院の本堂
二宮の町並み
二宮駅前の歩道橋

湘南電車の線路を渡り蓮華院に立ち寄ってから国道1号線を歩くと二宮です。横断歩道の先を右に折れると二宮駅のロータリーでした。

軒の低い家並みが続く二宮の街からは箱根の山並みが見えています。二子山と神山の大きなシルエット、小田原はその下にあります。この次は小田原までの街道歩きの予定です。

 

 コース GPSmap


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