松原神社 
寺社の種類:旧県社
創建の時期:久安年間(1145~1150年)
本殿の形式:-
境内社:住吉神社、鹿島神社、手置神社、稲荷神社、八幡神社
札所:-
所在地:神奈川県小田原市本町2丁目10-16
訪問日:2023年5月5日
小田原市本町にある神社です。小田原宿の総鎮守として後北条氏・稲葉氏・大久保氏から篤く崇敬された神社です。
5月3、4、5日は祭礼の日、松原神社の前には出店が立ち並び、子供を連れた家族連れや若者でにぎわっています。お神輿は小田原担ぎと呼ばれる漁船に見立てた独特な担ぎ方で渡御されると言います。漁業関係者は激減したものの今も町内会などで伝統が引き継がれているようでした。
祭神 日本武尊
相殿 素盞鳴尊、宇迦之御魂神
由緒
縁由及び創祀の記録は灰燼に帰して詳かではないが古老の口碑に依れば近衛天皇久安年間の勧請なりと云はれている。後醍醐天皇の頃当所に真鶴が棲み、故に鶴の森明神と称したと云う。
後奈良天皇天文年間に山王原村松原の海中より十一面観音が出現、その託宣に依り当社の本地佛として祀ったことから神号を松原大明神と称したと云う。明応四年北条氏の小田原を治めるに当り当社への尊崇頗る厚く鎮守として社領一万石を寄せ氏綱、氏康等大事毎に必ず祈願した。
天正十八年北条氏廃滅後、後水尾天皇寬永九年稲葉氏の領となっても亦、鎮守として崇祀し社費は悉く藩財を以て之に当てた。霊元天皇貞享三年旧領主大久保氏が封を再び此の地に受けた事に依り猶先規に従い鎮守として崇敬前代に劣らず代々小田原の宿十九町の総鎮守とした。
明治二年松原神社と改称し、明治六年一月旧足柄懸に於いて懸社と定められ、明治四十年四月二日神饌弊帛料供進神社に指定された。
例祭
五月三日、四日、五日
日本の古代史における伝承上の英雄。景行天皇の皇子です。気性が激しいため天皇に敬遠され、九州の熊襲(くまそ)や東国の蝦夷(えぞ)の討伐に遣わされたといわれています。風土記なども含めてさまざまな伝説が残っています。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。
古事記、日本書記に登場する神です。須佐之男命と神大市比売の子です。農耕の神、商工業の神、商売繁盛の神としても信仰されていて全国の稲荷神社で祀られています。
第12代天皇(在位:71年7月11日~130年11月7日 )垂仁天皇の第三皇子。都は大和の纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。熊襲くまそを征討し、皇子の日本武尊(やまとたけるのみこと)を派遣して蝦夷を平定したという。陵墓は奈良県天理市渋谷町の山辺道上陵。
古事記に登場する神、伊弉冉尊(いざなみのみこと)とともに天つ神の命でおのころ島をつくって天降り、国生みと神生みを行った男神です。
黄泉国(よもつくに)の汚穢(けがれ)を禊(みそぎ)した際に、天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つきよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの神が生まれました。
日本神話で高天原(たかまがはら)の主神。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の娘。太陽神であり皇室の祖神として伊勢神宮の内宮に祭られています。
素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴に天の岩戸にこもり国中が暗闇になったという岩戸神話や孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国に降臨させた天孫降臨の神話が知られています。
日本神話に登場する神で出雲神話の祖神とされています。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の子で天照大神の弟とされています。
高天ヶ原で多くの乱暴を行ったことで天照大神が怒り天の岩戸にこもり、高天ヶ原から追放されました。出雲に下り八岐大蛇を退治し奇稲田姫命(くしなだひめ)を救ったとされています。