石手寺からは繁多寺に向かいます。繁多寺は小高い丘の上に立つお寺です。簡素な山門をくぐると広い境内。その奥に大きな本堂、右手には太子堂が祀られています。
左手の鳥居の先には歓喜天を祀った聖天堂です。ここに祀られる歓喜天は徳川家綱の念持仏と言われています。
歓喜天は浅草七福神の待乳山聖天でもお馴染みで商売繁盛、夫婦和合にご利益があるとか、江戸時代には聖天さまと親しまれたと言います。
またこのお寺は時宗の開祖一遍上人が修業したお寺です。一遍上人は伊予守護職河野家の出身とか、先ほど訪れた湯築城とも関係があるのでしょう。
真言宗の新義真言の一派。総本山は奈良桜井市の長谷寺。真言宗智山派と同じく覚鑁(かくばん)を開祖とする。織田信長のため根来寺を追われた専誉(せんよ)が一派を形成した。
奈良時代の僧、668~749年。百済系の渡来人。法相宗を学び諸国を巡って布教た。民衆とともに道路・堤防・橋や寺院の建設にあたったが僧尼令違反として禁止された。後に聖武天皇の帰依を受け、東大寺・国分寺建立に協力。日本最初の大僧正の位を授けられた。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
四国にある弘法大師ゆかりの88か所の寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。
1番 霊山寺、2番 極楽寺、3番 金泉寺、4番 大日寺、5番 地蔵寺、6番 安楽寺、7番 十楽寺、8番 熊谷寺、9番 法輪寺、10番 切幡寺、11番 藤井寺、12番 焼山寺、13番 大日寺、14番 常楽寺、15番 国分寺、16番 観音寺、17番 井戸寺、18番 恩山寺、19番 立江寺、20番 鶴林寺、21番 太龍寺、22番 平等寺、23番 薬王寺、24番 最御崎寺、25番 津照寺、26番 金剛頂寺、27番 神峯寺、28番 大日寺、29番 国分寺、30番 善楽寺、31番 竹林寺、32番 禅師峰寺、33番 雪蹊寺、34番 種間寺、35番 清滝寺、36番 青龍寺、37番 岩本寺、38番 金剛福寺、39番 延光寺、40番 観自在寺、41番 龍光寺、42番 仏木寺、43番 明石寺、44番 大寶寺、45番 岩屋寺、46番 浄瑠璃寺、47番 八坂寺、48番 西林寺、49番 浄土寺、50番 繁多寺、51番 石手寺、52番 太山寺、53番 円明寺、54番 延命寺、55番 南光坊、56番 泰山寺、57番 栄福寺、58番 仙遊寺、59番 国分寺、60番 横峰寺、61番 香園寺、62番 宝寿寺、63番 吉祥寺、64番 前神寺、65番 三角寺、66番 雲辺寺、67番 大興寺、68番 神恵院、69番 観音寺、70番 本山寺、71番 弥谷寺、72番 曼荼羅寺、73番 出釈迦寺、74番 甲山寺、75番 善通寺、76番 金倉寺、77番 道隆寺、78番 郷照寺、79番 天皇寺、80番 国分寺、81番 白峯寺、82番 根香寺、83番 一宮寺、84番 屋島寺、85番 八栗寺、86番 志度寺、87番 長尾寺、88番 大窪寺
頭は象身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王でのち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合、子宝の神として信仰される。
鎌倉中期の僧。1239~1289年。時宗(じしゅう)の開祖。延暦寺に入り太宰府で法然の孫弟子聖達に浄土教を学ぶ。他力念仏を唱え衆生済度のため、民衆に踊り念仏を勧め全国を遊行した。
真言宗の新義真言の一派。宗祖覚鑁(かくばん)は真言宗の教義に念仏を加味し、高野山の大伝法院にあって布教に努めた。その教勢が高野本山をしのいだため紛争を生じ1140年円明寺を開いて分立した。
平安後期の真言宗の僧(1095~1144年)高野山に大伝法院、密厳院などを建立し、金剛峰寺とともに座主を兼ねたが一山の反対にあい根来に移った。新義真言宗の開祖、伝法院流の祖。
第45代天皇(在位:724年2月4日~749年7月2日)文武天皇の第一皇子。光明皇后とともに仏教を厚く信仰。全国に国分寺・国分尼寺を置き東大寺を建立して大仏を造立した。陵墓は奈良県奈良市法蓮町の佐保山南陵。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。