善通寺市は善通寺の門前町として発展したところです。観光地と言うこともあって広い駐車場はたくさんの観光バスなどで賑わっていました。
善通寺は弘法大師誕生の地、広大な寺院は伽藍と呼ばれる東院、誕生院と呼ばれる西院に分かれています。金堂、五重塔などが建ち並ぶ伽藍は創建時以来の寺域であり、御影堂を中心とする誕生院は、弘法大師が生まれた佐伯家の邸宅跡と言います。
広い駐車場に車を停め広田川を渡ると西院です。広田橋にかかる済世橋の近くにはバコタ供養塔が祀られています。西院には大師堂である御影堂がありますが、まずは本堂に参拝と言うことで東院に向かうことにしました。
中門をくぐると広い東院です。東院の中央には高さ45mという五重塔が建っています。現在の塔は弘化2年(1845年)の再建、善通寺のシンボルとして知られています。
その近くにそびえる大楠は樹齢1000年を越える大木で、その下には善通寺領の氏神を祀ったと言う赤い五社明神の社があります。
東院の中央には大きな金堂、創建当時の建物は永禄元年(1558年)、三好実休と香川之景が争った善通寺合戦により焼失、現在の建物は元禄年間(1688~1704年)の再建と言います。四国八十八ヶ所をはじめとして、四国のお寺は幾多の戦乱をくぐりぬけながらその歴史を刻んできたのでしょう。
金堂の傍には赤子を抱えた子授修業大師が祀られています。その手前の大きな石は忠臣蔵で知られる大石内蔵助が奉納したと言う手水場とか、奉納 播州赤穂 大石良雄と刻まれた石柱が建っていました。
東院の塀に沿ってたくさんの五百羅漢が並んでいます。お釈迦さんの入滅後その教えを広めようとして集まった阿羅漢で、色々な表情は見飽きないもの、大きなお腹を突きだして笑っている姿は笑いを誘うものです。
東院と西院の間の参道には塔頭の一つ華蔵院と観智院があります。観智院は大悲殿の大きな扁額を掲げるお寺で、子安観音を祀るお寺と言います。本堂傍の石積みの上には弘法大師の像が祀られていました。
西院は菊祭りの最中と言うことでたくさんの参拝客で賑わっています。大師堂である御影堂には白い笈づるを着たお遍路さんの姿もありました。
御影堂に参拝したのち広い境内を一回りします。小さな池は御姿池、池の中には弘法大師像、その前には弘法大師の父親、佐伯善通と母親の玉依御前の石像も並んでいました。
境内には聖天堂や聖霊院、護摩堂、親鸞堂などのお堂が並んでいます。蒲田の御影とも言われる親鸞堂は浄土宗の開祖、親鸞上人像を祀るお堂で、下総国蒲田荘(現在の千葉の市川市)に滞在していた親鸞上人が自ら刻んだ像で、親鸞上人が都に帰るとき「願わくは、この像を彼の寺に送り今生の願望を逐げしめよ」と言い残したことから善通寺に納められたものと言います。
金堂には戒壇めぐり、西院には宝物殿など色々見どころはあるようです。また近くの香色山にはミニ八十八ヶ所霊場があると言いますが時間が許せそうにありません。
東方浄瑠璃世界の教主。人々の病患を救うとともに悟りに導くことを誓った仏で医薬の仏として信仰される。右手に施無畏印(せむいいん)を結び、左手に薬壺(やっこ)を持つ。脇侍に日光菩薩と月光菩薩、眷属として十二神将が配される。
四国にある弘法大師ゆかりの88か所の寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。
1番 霊山寺、2番 極楽寺、3番 金泉寺、4番 大日寺、5番 地蔵寺、6番 安楽寺、7番 十楽寺、8番 熊谷寺、9番 法輪寺、10番 切幡寺、11番 藤井寺、12番 焼山寺、13番 大日寺、14番 常楽寺、15番 国分寺、16番 観音寺、17番 井戸寺、18番 恩山寺、19番 立江寺、20番 鶴林寺、21番 太龍寺、22番 平等寺、23番 薬王寺、24番 最御崎寺、25番 津照寺、26番 金剛頂寺、27番 神峯寺、28番 大日寺、29番 国分寺、30番 善楽寺、31番 竹林寺、32番 禅師峰寺、33番 雪蹊寺、34番 種間寺、35番 清滝寺、36番 青龍寺、37番 岩本寺、38番 金剛福寺、39番 延光寺、40番 観自在寺、41番 龍光寺、42番 仏木寺、43番 明石寺、44番 大寶寺、45番 岩屋寺、46番 浄瑠璃寺、47番 八坂寺、48番 西林寺、49番 浄土寺、50番 繁多寺、51番 石手寺、52番 太山寺、53番 円明寺、54番 延命寺、55番 南光坊、56番 泰山寺、57番 栄福寺、58番 仙遊寺、59番 国分寺、60番 横峰寺、61番 香園寺、62番 宝寿寺、63番 吉祥寺、64番 前神寺、65番 三角寺、66番 雲辺寺、67番 大興寺、68番 神恵院、69番 観音寺、70番 本山寺、71番 弥谷寺、72番 曼荼羅寺、73番 出釈迦寺、74番 甲山寺、75番 善通寺、76番 金倉寺、77番 道隆寺、78番 郷照寺、79番 天皇寺、80番 国分寺、81番 白峯寺、82番 根香寺、83番 一宮寺、84番 屋島寺、85番 八栗寺、86番 志度寺、87番 長尾寺、88番 大窪寺
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
5層建ての仏塔。古くは伽藍の中心的存在であったが7世紀末から双塔式伽藍ができやがて回廊外に置かれるようになる。外観は基壇、塔身、相輪からなる。中央に心柱または刹柱が独立しその上部が相輪となる。
鎌倉時代の僧。浄土真宗の開山。曇鸞の他力回向によって発得して以来、親鸞と名のり愚禿(ぐとく)と称した。1207年念仏停止の法難に遭い越後に流罪。赦免ののち長く関東に住み布教と著述を行う。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
法然上人の弟子の親鸞上人を開祖とする浄土教の一派。浄土三部経を所依の経典とするが、特に無量寿経により阿弥陀仏の本願の信心を重視し、称名念仏は仏恩報謝の行であるとするのを宗旨とする。門徒宗、一向宗とも呼ばれます。