白峰寺からは根香寺に向かいます。道のわきは自衛隊の演習所になっているようで高いフェンスが巡らされていました。展望が開けるところからは瀬戸内海が広がり、瀬戸大橋が秋空の下に霞んでいました。
弘仁年間(810~824年)、唐に渡る弘法大師が航海の安全を祈り五大明王を祀った花蔵院を建立、天長9年(832年)、智証大師が千手観音を刻み千手院を建立、この2院を合わせたものが根香寺と伝えられています。
山門をくぐると急な石段があります。このわきには水かけ地蔵と円小角の石像、ここもまた神仏習合の歴史を残すところのようです。
中門をくぐると本堂を巡るように回廊があります。釣り灯籠に照らし出される暗い回廊には3万体と言われる万体観音が祀られていました。
境内には本堂、大師堂のほか五大明王を祀る五大堂、不動明王、後三世明王、軍茶利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の木像が安置されていました。
法華経を根本経典とする大乗仏教の一派。575年隋の智顗(ちぎ)が天台山にこもって大成。日本へは奈良時代に唐僧鑑真(がんじん)が初めて伝え、平安初期に最澄が比叡山に延暦寺を建て開宗。のち山門派と寺門派、さらに真盛(しんぜい)派に分かれた。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
814~891年、平安前・中期、天台宗寺門派の開祖。天台座主。母は空海の姪という。853~858年唐で修学。帰朝後、延暦寺別院として園城寺(おんじようじ)を再興。台密を完成させた。
六観音の一つ。限りない慈悲を表す菩薩で、千の慈悲の眼と千の慈悲の手をそなえ、生ある者を救うという。二七面四二臂の像が一般的。千手千眼観世音。千眼千臂観世音。
四国にある弘法大師ゆかりの88か所の寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。
1番 霊山寺、2番 極楽寺、3番 金泉寺、4番 大日寺、5番 地蔵寺、6番 安楽寺、7番 十楽寺、8番 熊谷寺、9番 法輪寺、10番 切幡寺、11番 藤井寺、12番 焼山寺、13番 大日寺、14番 常楽寺、15番 国分寺、16番 観音寺、17番 井戸寺、18番 恩山寺、19番 立江寺、20番 鶴林寺、21番 太龍寺、22番 平等寺、23番 薬王寺、24番 最御崎寺、25番 津照寺、26番 金剛頂寺、27番 神峯寺、28番 大日寺、29番 国分寺、30番 善楽寺、31番 竹林寺、32番 禅師峰寺、33番 雪蹊寺、34番 種間寺、35番 清滝寺、36番 青龍寺、37番 岩本寺、38番 金剛福寺、39番 延光寺、40番 観自在寺、41番 龍光寺、42番 仏木寺、43番 明石寺、44番 大寶寺、45番 岩屋寺、46番 浄瑠璃寺、47番 八坂寺、48番 西林寺、49番 浄土寺、50番 繁多寺、51番 石手寺、52番 太山寺、53番 円明寺、54番 延命寺、55番 南光坊、56番 泰山寺、57番 栄福寺、58番 仙遊寺、59番 国分寺、60番 横峰寺、61番 香園寺、62番 宝寿寺、63番 吉祥寺、64番 前神寺、65番 三角寺、66番 雲辺寺、67番 大興寺、68番 神恵院、69番 観音寺、70番 本山寺、71番 弥谷寺、72番 曼荼羅寺、73番 出釈迦寺、74番 甲山寺、75番 善通寺、76番 金倉寺、77番 道隆寺、78番 郷照寺、79番 天皇寺、80番 国分寺、81番 白峯寺、82番 根香寺、83番 一宮寺、84番 屋島寺、85番 八栗寺、86番 志度寺、87番 長尾寺、88番 大窪寺
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
特に密教で不動明王を中心として四方に配され魔を降伏させる5明王で、中央が不動明王、東方が降三世明王、南方が軍荼利明王、西方が大威徳明王、北方が金剛夜叉明王。いずれも忿怒の形相を表わす。
814~891年、平安前・中期、天台宗寺門派の開祖。天台座主。母は空海の姪という。853~858年唐で修学。帰朝後、延暦寺別院として園城寺(おんじようじ)を再興。台密を完成させた。
六観音の一つ。限りない慈悲を表す菩薩で、千の慈悲の眼と千の慈悲の手をそなえ、生ある者を救うという。二七面四二臂の像が一般的。千手千眼観世音。千眼千臂観世音。
7世紀末に大和葛木山にいたという呪術者。修験道の開祖と仰がれ,神変大菩薩の勅諡号を受けた。秩序を乱したので699年に伊豆に流された。山岳信仰と密教とが合流するようになって修験者の理想像とされ、その足跡を伝える説話は多く伝えられている。
日本古来の神と外来宗教である仏教とを結びつけた信仰のこと。すでに奈良時代から寺院に神が祀られたり、神社に神宮寺が建てられたりした。平安時代頃からは本格的な本地垂迹(ほんじすいじやく)説が流行し、中世になって両部神道などが成立した。
特に密教で不動明王を中心として四方に配され魔を降伏させる5明王で、中央が不動明王、東方が降三世明王、南方が軍荼利明王、西方が大威徳明王、北方が金剛夜叉明王。いずれも忿怒の形相を表わす。
五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。
忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。
五大明王の一尊。東方に位し3世にわたる三毒を降伏させるところからこの名がある。像は普通三眼で四面八臂、怒りの表情をし火炎を背に負い足下に大自在天と烏摩妃(うまひ)を踏みつける姿に表す。
五大明王の一つで西方の守護神。人々を害する毒蛇、悪竜や怨敵を征服するという。頭、腕、脚が六つずつあり、剣、鋒、輪、杵(しょ)を持ち、怒りの形相をして火炎に包まれ水牛に乗る姿の像が多い。
中国、唐代の高僧。日本律宗の開祖。揚州大明(たいめい)寺で戒律を講じ名声があった。742年日本僧栄叡(ようえい)らの請に応じて来日を志したが海賊や風波の災で5度挫折の後、754年渡来した。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。
忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。
五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。
忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。
五大明王の一つで東方の守護神。貪(とん)・瞋(じん)・痴の三毒を滅ぼすとも三界を降伏するともいう。通常は四面八臂の怒りの姿で、左足で大自在天を右足でその妃烏摩を踏む。
五大明王の一つで西方の守護神。人々を害する毒蛇、悪竜や怨敵を征服するという。頭、腕、脚が六つずつあり、剣、鋒、輪、杵(しょ)を持ち、怒りの形相をして火炎に包まれ水牛に乗る姿の像が多い。
平安時代の僧。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。延暦23年(804年)入唐し翌々年帰朝。高野山に金剛峰寺を建立し東寺(教王護国寺)を真言道場とした。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。
菩薩や仏陀がかりに神の姿をとって垂迹するという説、神は権現と呼ばれるようになった。神の正体とされる仏を本地仏と言う。神々に付会される仏は、宗派、信仰、寺院、神社によって異なる。
五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。
忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。
五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し仏道に導きがたいものを畏怖せしめ、煩悩を打ちくだくと言います。
忿怒の姿で火焔の中にあり、右手に剣、左手に索縄を持ち、心の内外の悪魔をはらうとされています。
五大明王の一つで東方の守護神。貪(とん)・瞋(じん)・痴の三毒を滅ぼすとも三界を降伏するともいう。通常は四面八臂の怒りの姿で、左足で大自在天を右足でその妃烏摩を踏む。
五大明王の一つで西方の守護神。人々を害する毒蛇、悪竜や怨敵を征服するという。頭、腕、脚が六つずつあり、剣、鋒、輪、杵(しょ)を持ち、怒りの形相をして火炎に包まれ水牛に乗る姿の像が多い。