待乳山聖天 


 寺社の種類:聖観音宗
 山号:待乳山、院号:本龍院
 創建の時期:推古3年(595)年
 札所:江戸七福神
 所在地:東京都台東区浅草7丁目4?1
 訪問日:2011年4月15日

 

待乳山聖天は浅草寺の子寺で関東三聖天の一つに名前を連ねています。また江戸七福神の一つ、毘沙門天を祀るお寺です。聖天は天部に属する仏教の守護神で大聖歓喜天、象鼻天(ぞうびてん)などとも呼ばれ、像の頭をもつ男女2体の立像が抱擁している仏像には珍しい姿として仏像写真集などにも紹介されています。

本堂にはたくさんの大根が奉納さえていました。待乳山聖天のご利益を大根と巾着であらわしているとか。何か密教的な匂いの感じるお寺です。

待乳山聖天の境内
待乳山聖天の本堂
たくさんの大根が奉納されています
境内の宝篋印塔

境内には古い宝篋印塔がありました。宝篋印塔は平安時代から造られたと言う石塔の一つで、笠の四隅に飾り突起が付けられるのが特徴とか。室町時代以降には供養塔だけでなく墓石としても造られたようです。

江戸時代の古い土壁
浴油供養の案内板

境内の壁は江戸時代の古い壁と言います。土壁に瓦を入れた壁は普通の土壁より強度があるのでしょう。熱田神宮に織田信長が奉納した土壁も同じように瓦が積み重ねられていました。

 歓喜天(かんぎてん)・聖天(しょうてん)・大聖歓喜自在天(だいしょうじざいかんぎてん)

頭は象身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王でのち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合、子宝の神として信仰される。

 

 十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)

六道を教化する六観音の一つ。11の顔と2臂または4臂をもった姿の観音。

 

 毘沙門天(びしゃもんてん)

仏法守護の神。四天王、十二天の一神。北方世界を守護する。黄色の身で忿怒の相をし、甲冑を着け左手に宝塔を捧げ、右手に矛または宝棒を持つ。法を聞くので多聞天とも呼ばれる。

 

 歓喜天(かんぎてん)・聖天(しょうてん)・大聖歓喜自在天(だいしょうじざいかんぎてん)

頭は象身体は人間の姿をした仏法守護神。もとインド神話の魔王でのち仏教にとり入れられたもの。単身像と双身像とあり、双身像は男神と女神とが抱擁する姿をとることが多い。夫婦和合、子宝の神として信仰される。

 

 宝篋印塔(ほうきょういんとう)

宝篋印陀羅尼という呪文を収めた塔。のちに供養塔、墓碑塔として建てられた。方形の石を下から基壇、基礎、塔身、笠、相輪と積み上げ、笠の四隅に飾りの突起があるものをいう。

 

 織田信長(おだのぶなが)

1534~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。織田信秀の子。桶狭間に今川義元を討って尾張一国を統一。京都に上って比叡山を焼き、浅井氏・朝倉氏を破り、将軍足利義昭(あしかがよしあき)を追放、武田勝頼を三河の長篠に破った。中国出陣の途中、京都本能寺で明智光秀の謀反にあった。

 

 六観音(ろくかんのん)

六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。

 

 武田勝頼(たけだかつより)

1546~1582年、戦国時代の武将。武田信玄の子。信玄没後家督を継ぎ美濃・遠江・三河に進出したが、長篠の戦いに大敗。以後衰運をたどり織田・徳川軍に追い詰められ天目山麓で自刃、武田氏は滅亡した。

 

 明智光秀(あけちみつひで)

1528~1582年、戦国・安土桃山時代の武将。美濃の生まれ。織田信長に重用されたが、1582年6月2日、京都本能寺に信長を襲い自害させた。山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れ逃走中土民に殺された。

 

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