今里町運動公園10:10~ユッピーの森入り口10:15~331m峰10:55~だいたら坊の岩11:15~表参道分岐11:35~カラッソ坂11:45~羽黒山神社・密嶽神社12:10/55~田楽茶屋13:00/14:00~表参道入口14:30~今里町運動公園14:50
雪が少ない、比較的簡単、ロウバイと言うキーワードでネットから探した山は栃木百名山に選ばれた羽黒山です。山頂まで車で登れるようで観光客も多く訪れるところです。天気が良ければ山頂の展望台からは富士山も遠望できるところと紹介されていました。
東北道の上河内サービスエリアから一般道に降りると広い運動公園があります。
ここから東北道の下をくぐるとユッピーの森の入り口です。明るい公園の中に続く階段を登って行くとヒノキ林の中の山道が始まります。
右手はヒサカキやシキミノなどの灌木とミズナラの雑木林、その境界に続く山道は331m峰をめざして緩やかに登って行きます。だいたら0.6mと記された道標からは小さく下り登り返すとだいたら坊の岩への分岐です。
だいたら坊の岩は各地に伝わるダイタラボッチ伝説の一つのようで現地の案内板によると「だいたら坊と呼ばれる大男が出羽の羽黒山の土をモッコに乗せ運んでいたところ下野国川内郡でつまづきました。落とした土が羽黒山、その中にあったのがこの大岩」と紹介されていました。だいたら坊の岩近くにあった石祠には羽黒山神社のお札が収められていました。
だいたら坊の岩から稜線を進むと表参道の分岐です。ここからは石畳の急な坂道を登って行きます。
やがて参道はカラッソ坂の入り口にたどり着きました。ここは山頂直下へと続く車道が通るところで数日前に降ったのか薄く雪も残っていました。
お助けロープが張られたカラッソ坂は急な登りです。脇には階段も付けられていましたが174段とか、現地の案内板には「カラッソ坂に登ってくるころには、身も心も煩悩(ぼんのう)から離れ清らかな状態になるこから命名された」と紹介されていました。
カラッソ坂を登ると羽黒山神社です。甘い香りを辺りに漂わせるロウバイ園の側には駐車場、ここまで車で登ってくる参拝客も多いようです。
ヒノキ林の中の赤い鳥居からは奉納旗が立ち並ぶ石段が続いています。羽黒山神社は藤原宗円が宇都宮城の築城に際して創建したと伝えられる神社です。藤原宗円は平安時代後期の人で後に下野国を地盤に活動した宇都宮氏の初代当主とされています。
残雪が残る境内には拝殿と本殿、本殿は文政13年に再建されたもので柱や軒などに刻まれた精巧な彫刻は神山政五郎の作と言われています。ガラス越しに見ることができますが金網がかかっていてあまり良く見えませんでした。また境内には鐘楼や石仏や石塔などが置かれた子安神社あります。かつての修験道の匂いが今も残っているようです。
境内には大きな梵天が掲げられています。梵天は古代インドの神ブラフマーが仏教に取り入れられたもので十二天のひとつです。毎年11月末には収穫を感謝するため、白足袋姿の若者たちが梵天を羽黒山神社に担ぎあげる梵天祭りが行われると言います。
羽黒山神社から車道を進むと展望台があります。目の前には白い雪を被った男体山や女峰山、富士見穴と書かれた標柱の穴の先には富士山の姿を見付けることができるところです。しかし濁りかけた空の下には僅かにその影が見え隠れしているだけでした。
車道の先は栃木百名山の道標が置かれた目立たない山頂です。その先には覆い堂に覆われた密嶽神社があります。江戸時代宝暦2年の再建という社殿には精細な彫刻が刻まれていますが作者は不明と言います。
カラッソ坂の手前の田楽茶屋でおそばを食べていくことにします。もり蕎麦にかき揚げ天が付いて600円とか、手打ちのお蕎麦はなかなかの美味、観光地の名物は期待ほどのことがないものも多い中、ここの手打ち蕎麦は値段以上の美味でした。
カラッソ坂から表参道を下って行くことにします。暗いヒノキ林の中の石畳の道には薄く氷も張っているようで少し気が張る下りです。途中には朝水舎が祀られています。ここは修験道の行者が禊ぎをしたところとか、境内には修験道に匂いが彼方此方に残っているようです。
たどり着いた表参道の入り口には数台の車が停まっていました。ここに車を停め山頂に向かう人も多いようです。
帰りには近くのこいしや食品と言うお豆腐工場の直売店でお豆腐を買ってから帰ることにしました。