河口湖の北に連なる山々は御坂山塊と言われ、天気の良い日には河口湖を前景とした雄大な富士山の姿を楽しむことができると言います。登山口のある天下茶屋から眺める富士山は、観光ポスターなどで何度か見た記憶が残っている景色です。御坂山は甲斐と駿河を結ぶ交通の要衝で、中世には鎌倉街道も御坂峠を通っていたと言います。また御坂山周辺には御坂城址があり、武田氏滅亡の後、甲斐の領有をめぐって徳川氏と北条氏が争った歴史を今に伝えるところと言います。
小淵沢行きの普通列車で大月駅へ。ここから普通列車に乗り換え河口湖駅まで。電車を利用したこの山域へのアクセスは時間がかかるものです。駅前から富士急の天下茶屋行きのバスで御坂峠へ。途中、三ツ峠山に登るハイカーを降ろすと天下茶屋まで乗って行くのは我々二人だけのようです。たどり着いた天下茶屋には真新しい茶店が建っていました。
天下茶屋から左手の遊歩道を登っていくと「富士には月見草がよく似合う」と刻まれた太宰治の文学碑が建っていました。ここからは良く整備された階段が尾根筋へと登って行きます。稜線から右に分かれる道は清八峠から三ツ峠山へと続く道です。ここから尾根道をたどっていくと、暗い雑木林に囲まれた御坂山の山頂にたどり着きました。
御坂山からは明るい尾根道を御坂峠へと下って行きます。左手は広く開けていますが、梅雨の合間の曇り空。うっすらと霞む河口湖の湖面が眺められるだけです。期待していた富士山は低く垂れこめた雲に隠れ、その裾野さえも見せてくれません。御坂峠は戦国時代の御坂城址という峠で御坂茶屋がひっそりと建っています。あまり訪ねる人もいないのでしょうか、今日は店を開いていません。
御坂峠からは御坂城の空堀の跡に沿う登山道を黒岳へと登り始めます。雑木林の中の急坂にひと汗を流すと、桧の植林に包まれた黒岳の山頂にたどり着きました。残念ながらここからの展望は全く望めません。草原でコッヘルを出し昼食としました。
昼食の後、破風山へと向かうことにします。山頂から急な坂道を下ると、右手にスズラン峠への道を分けます。登り返した草原状の頂が破風山の山頂。正面は広く開け、目の前に河口湖、その向こうには三ツ峠山から続く長い尾根と天上山が霞んでいます。しかし相変わらず富士山は雲に隠れその姿を見せてくれません。ここからしばらく下ると新道峠。ここから雑木林の中の暗い坂道をひと登りすると節三郎岳の目立たない頂です。
節三郎岳からは再び明るい尾根道を大石峠へ。途中大きな岩場を越え小さなアップダウンを繰り返すと、正面に白く雲を被った十二ガ岳が見えてきます。たどり着いた草原状の明るい峠が大石峠。草原には初夏の草原の花、アヤメが咲き乱れていました。
ここから縦走路に別れを告げ、左手の植林帯の中をジグザクに高度を落として行きます。しばらく下ると冷たい水の湧き出している水場。ここから更にしばらく下っていくと沢沿いの道を下るようになります。付近には林間学校やキャンプ場、テニスコートなどが建ち並び、大学生のサークルなのか、若いグループがラケットを持ちながら歩いていました。たどり着いた湯口のバス停からは、しばらくの待ち時間で新吉田へ向かう富士急バスに乗ることができました。
御坂山塊の尾根道は、春から初夏にかけて咲く花々に彩られています。新緑の中に咲く赤色のツツジはヤマツツジ、朱色のツツジはレンゲツツジです。濃い紫色の花を附けたタカネグンナイフウロウも咲いています。大石峠の草原には初夏の草原を彩るアヤメが群生していました。
大石峠へ向かう明るい尾根道には、ピンクの特徴のある大きな花を付けたアツモリソウ。その花の形から源平時代の鎧武者が付けた袰を連想し付けられた名前と言います。クマガイソウとともに盗掘などによりほとんど見ることができなくなった花のひとつです。
破風山の草原にはアヤメの花に混じり、ニッコウキスゲがそろそろ蕾を付け始めていました。しばらくするとこの草原にもニッコウキスゲが咲くようです。