※ アイコンをクリックすると標石にリンクします。
訪問日:2022年11月14日
場所:神奈川県鎌倉市小袋谷2丁目19
成福寺の側に庚申塔があります。現地の案内板いよると寛文10年(1670年)の舟形塔で、阿弥陀三尊の種子を付けたものとしては鎌倉で最も古いものと言います。
訪問日:2022年11月14日
場所:神奈川県鎌倉市小袋谷2丁目22
水堰橋のたもとに鎌倉道の古い道標があります。
訪問日:2022年11月14日
場所:神奈川県鎌倉市小袋谷2丁目22
青梅聖天社の先は旧巨福路切通です。道端に猿田彦大神の石碑、庚申塚などが祀られています。
訪問日:2021年5月6日
場所:神奈川県鎌倉市鎌倉山2丁目11-7
夫婦池公園近くの道路沿いにある石碑、竹越興三郎が鎌倉山の由来を記した長文の石碑です。竹越與三郎は明治、大正、戦前昭和の言論界をリードした人と言います。
「天慶の乱に平貞盛が平将門を夷滅してより平氏の威勢漸く東国に張り其孫直方鎌倉邸に在りて幾多の荘園を領有す・・」に始まる碑文には鎌倉の歴史に始まり当時の鎌倉の繁栄や自然の景色などが綴られ、今後100年の鎌倉山の形成は如何と結ばれているようです。
訪問日:2021年4月20日
場所:神奈川県鎌倉市今泉2丁目
六国見山は安房、上総、下総、武蔵、相模、伊豆の六つの国を一望できるところです。展望台からは鎌倉アルプスの稜線が目の前に広がっていました。
山頂には浅間大社の大きな石碑が祀られています。ネットなどによると「明治の中期、富士講・真講社の講中の者が毎年富士山頂の浅間神社へ参詣に行っていたが、これでは大変なので大船で一番高い六国見山の山頂に土盛りをし、さらに3メートル位高くして、その頂上に浅間大神の御霊を移し祀ったもの・・」、富士塚の一つと言うことです。
訪問日:2018年11月1日
場所:神奈川県鎌倉市腰越3丁目
国道134号線沿いに道祖神や第六天の石碑があります。志賀岐船御用船十六人乗仏と刻まれた石碑もありましたが案内板もなく不明です。文字から推測するとこの沖で沈んだ御用船の供養塔なのでしょうか。
関連する記録 稲村ケ崎・磯づたいのみち 2018年11月1日
訪問日:2018年11月1日
場所:神奈川県鎌倉市腰越2丁目
小動の交差点にある道祖神。石面が崩れた古い道祖神も祀られています。
関連する記録 稲村ケ崎・磯づたいのみち 2018年11月1日
訪問日:2018年11月1日
場所:神奈川県鎌倉市1丁目19
元弘3年(1333年)新田義貞の鎌倉幕府攻めにおいては巨福呂坂、極楽寺坂、化粧坂の三方から攻撃を開始しました。しかし丘陵に囲まれた鎌倉の守りは固く混戦が続きました。太平記では新田義貞が潮が引くのを念じて海に剣を投じると潮が引いたので岬の南から鎌倉に攻め入ったと記されています。
鎌倉市外に侵入した新田勢は家々に火を放ち鎌倉市内は火災の煙で覆われました。北条高時ら北条一門は最期であることを悟り、菩提寺である葛西ヶ谷の東勝寺で自害し滅亡したと言います。
関連する記録 稲村ケ崎・磯づたいのみち 2018年11月1日
訪問日:2018年11月1日
場所:神奈川県鎌倉市1丁目19
稲村ケ崎公園に逗子開成中学校ボート部遭難慰霊碑があります。1910年1月23日、七里ガ浜沖で生徒ら12人が遭難し、全員死亡する事故が発生しました。その遺体の中には中学生の兄が小学生の弟をしっかりと抱きかかえた姿もあったと言います。
真白き富士の嶺(七里ヶ浜の哀歌)は逗子開成中学の系列校、鎌倉女学校の三角錫子教諭による作詞で少年達の合同葬儀で鎌倉女学校の生徒によって合唱されたと言います。
関連する記録 稲村ケ崎・磯づたいのみち 2018年11月1日
訪問日:2018年11月1日
場所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜4丁目
滑川の広場に魚籃観音の石碑があります。魚籃観音は三十三観音のひとつ、手に魚を入れたかごを持っている像と、大魚に乗っている像とがあります。羅刹らせつや毒竜・悪鬼の害を除く巧徳があると言います。
関連する記録 稲村ケ崎・磯づたいのみち 2018年11月1日
訪問日:2018年11月1日
場所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜4丁目
滑川の広場にさくら貝の歌碑があります。昭和14年(1939年)作詞:土屋花情、作曲:八洲秀章、1949年にNHKのラジオ歌謡で放送され人気を博しました。
関連する記録 稲村ケ崎・磯づたいのみち 2018年11月1日
訪問日:2018年11月1日
場所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜2丁目14
若宮大路の歩道脇に畠山重保の供養塔があります。鎌倉時代初期の武将で幕府創設に関わった畠山重忠の子です。元久元年、京都守護の平賀朝雅と酒宴の席で口論。これを口実に時政ら北条軍に攻められ、翌2年6月22日鎌倉由比ケ浜で殺されました。
関連する記録 稲村ケ崎・磯づたいのみち 2018年11月1日
訪問日:2018年2月15日
場所:神奈川県鎌倉市山ノ内
円覚寺の参道入り口に見慣れない形の古い石塔があります。五輪塔や宝篋印塔、多宝塔でもないようです。4層の層塔なのかも知れませんが何れ古い石塔です。
訪問日:2018年2月1日
場所:神奈川県鎌倉市材木座2丁目9-1
境内にはたくさんの庚申塚があります。鎌倉市の指定文化財や有形民俗文化財になっているものもあります。
国の重要美術品に指定されている板碑は弘長2年(1262年)の銘があるもので不動明王の種子「カン」の梵字が刻まれたものと言います。
たくさんの庚申塚には板状、駒状、唐風付笠頭塔婆庚申塔など色々の種類のものがあります。よくある青面金剛のほか阿弥陀如来が刻まれた庚申塔もありました。
訪問日:2018年2月1日
場所:神奈川県鎌倉市材木座2丁目
来迎寺近くの道端に馬頭観音の石碑と小さな祠があります。
訪問日:2018年2月1日
場所:神奈川県鎌倉市大町1丁目1
横須賀線の踏切の傍にある供養塔です。ここで事故死した金子サトさんの供養と事故が起きないことを願って建立したものと言います。
訪問日:2016年12月03日
場所:神奈川県鎌倉市二階堂732
もみじ谷の道端に道祖神が祀られていました。傍には荏柄天神御旅所の標識は立っていました。
関連する記録 衣張山から獅子舞 2016年12月3日
訪問日:2016年12月03日
場所:神奈川県鎌倉市大町4丁目
安国論寺に近くに小さな石祠が祀られています。大黒天が祀られた大国堂と言われ、付近には古い石仏や庚申塚なども祀られていました。
境内には北斗尊星と刻まれた石仏がありました。庚申信仰では三戸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げとされています。
中国道教では天帝を北斗と同一視することもあり、江戸時代には北斗の本地とする比叡山の山王信仰と結びついたと言います。庚申信仰は色々と変化しながら庶民の中に広がって行ったことが窺えるものです。
関連する記録 衣張山から獅子舞 2016年12月3日
訪問日:2016年2月29日
所在地:神奈川県鎌倉市十二所
北条高時を祀ると伝えられるやぐらは3つの岩窟からなり、中央の岩窟には風化した五輪塔が祀られています。
付近は一般のハイキングコースから離れたところで訪れる人はあまりいません。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月29日
訪問日:2016年2月29日
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂
瑞泉寺へと下って行くハイキングコースの途中にあるやぐら群です。中には五輪塔が祀られているものもあります。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月29日
訪問日:2016年2月16日
所在地:神奈川県鎌倉市山ノ内
鎌倉アルプスの覚園寺道の道標から西御門へと下って行く道の途中にあるやぐらです。天井に紅殻で筋が描かれていたと言いますが判りません。
登山道わきには複数のやぐらが残っていました。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月16日
訪問日:2016年2月10日
所在地:神奈川県鎌倉市十二所
金坂街道の赤石橋近くに五輪塔や古い石仏が祀られていました。無縫塔もあることから廃寺の跡なのかもしれません。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月10日
訪問日:2016年2月10日
所在地:神奈川県鎌倉市十二所
明王院の境内に四重の石塔と四角柱の庚申塚があります。頂猿角柱型と言われる珍しい庚申塔です。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月10日
訪問日:2016年2月10日
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂
赤い鳥居が建つ荏柄天神社の参道に庚申塚がありました。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月10日
訪問日:2016年2月3日
所在地:神奈川県鎌倉市十二所
金沢街道に面したお坊橋近くに赤い涎掛けを掛けたお地蔵さんが祀られています。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月3日
訪問日:2016年2月3日
所在地:神奈川県鎌倉市十二所
朝比奈切り通し近くに道造供養塔が建っていました。切り通しの工事に携わった人々の供養塔なのでしょうか。擦れた石面からは年代は判りません。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月3日
訪問日:2016年2月3日
所在地:神奈川県鎌倉市十二所
朝比奈切り通しは鎌倉を取り巻く七つの切通の一つです。切り立った岩壁に磨崖仏が刻まれていました。
関連する記録 鎌倉アルプス 2016年2月3日
訪問日:2015年10月19日
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂
天園コースから覚園寺へと下るハイキングコースに百八やぐらがあります。中世につくられた鎌倉独特の横穴式の墓地で比較的身分の高い僧侶や武士が埋葬されたと言います。
柔らかい鎌倉石の岩壁に掘られた石窟の中に石仏や五輪塔が祀られていました。長い年月の風化のためか石仏の首は落ちていました。
訪問日:2015年8月14日
所在地:神奈川県鎌倉市岡本2丁目3?20
大永6年(1526年)安房の里見実堯が鎌倉に乱入しました。玉縄城主北条氏時は甘粕氏と福原氏の一族と共に数度の合戦で里見軍勢を追い払いました。
戦いにより甘粕氏など多くの武士が戦死しこれを弔うため首塚が建てられました。玉垣をめぐらせた首塚には大きな碑文のほか馬頭観音や六地蔵も祀られています。
訪問日:2015年8月13日
所在地:神奈川県鎌倉市植木129
龍宝寺の参道に古い庚申塚が祀られていました。庚申塚の傍には馬頭観音や道祖神塚もあります。
訪問日:2015年6月22日
所在地:神奈川県鎌倉市二階堂413
覚園寺近くにある天園コースへの入口に庚申塔があります。
関連する記録 瀬上市民の森から天園・覚園寺 2015年6月22日
訪問日:2015年6月13日
所在地:神奈川県鎌倉市長谷4丁目2
たくさんの人で賑わう鎌倉大仏の傍に庚申塚や石仏が並んでいました。
関連する記録 鎌倉大仏・大異山高徳院 2013年12月13日
訪問日:2015年5月22日
場所:神奈川県鎌倉市西御門1丁目13-49
西御門八雲神社に庚申塔があります。鎌倉市の有形民俗文化財に指定された庚申塔です。
訪問日:2015年1月24日
場所:神奈川県鎌倉市極楽寺2丁目1-8
極楽寺坂脇の石段に庚申塚があります。石面には文化九壬申の文字が見えます。文化9年は西暦1812年、江戸時代も終わりに近づき外国船が通商を求め来航し始めた時期です。
訪問日:2015年1月24日
場所:神奈川県鎌倉市坂ノ下
極楽寺坂に日限六地蔵があります。期日を決めて願い事を祈れば、その期日までに願いを叶えてくれるという言い伝えがあります。
訪問日:2015年1月24日
場所:神奈川県鎌倉市坂ノ下
成就寺の墓地にたくさんの石仏がありました。お地蔵さんを中心として風化が進んだ石仏が祀られていました。
訪問日:2015年1月24日
場所:神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9
御霊神社の境内にたくさんの庚申塚がありました。村の辻々にあった庚申塚を移して改祀したもので三猿が踊る珍しい庚申塔もあります。
関連する記録 御霊神社(権五郎神社) 2015年1月24日
訪問日:2015年1月24日
場所:神奈川県鎌倉市長谷1丁目7
盛久の碑の側に庚申塚や五輪塔などが祀られていました。
訪問日:2015年1月24日
場所:神奈川県鎌倉市由比ガ浜1丁目3-11
六地蔵の交差点に赤井涎掛けのお地蔵さんが祀られています。
近くに鎌倉時代の刑場があったとされ、罪人の霊を弔うために祀られたと言われています。
訪問日:2015年1月18日
場所:神奈川県鎌倉市津1
龍口明神社の石段に道祖神や庚申塚がありました。
関連する記録 龍口明神社旧社 2015年1月18日
訪問日:2015年1月13日
場所:神奈川県鎌倉市小町3丁目5-22
寶戒寺の境内に庚申塔と宝篋印塔が祀られています。庚申塚の一つは庚申地神供養塔と刻まれていました。
関連する記録 金龍山寶戒寺 2015年1月13日
訪問日:2014年5月7日
場所:神奈川県鎌倉市大町3丁目1-22
オオムラサキツツジの咲くお寺として知られる安養院には道祖神や庚申塚があります。
関連する記録 祇園山安養院長楽寺 2014年5月7日
訪問日:2014年1月25日
場所:神奈川県鎌倉市今泉台5丁目
たくさんの人で賑わう天園ハイキングコースにも古い石像があります。十王岩には如意輪観音、血盆菩薩、閻魔大王が刻まれているようですが風化が進んで良く判りません。
その近く岩場の上には独鈷を持った空海の石像、台座には八十八番本尊薬師如来讃岐大窪寺の文字が刻まれています。
関連する記録 六国見山・鎌倉アルプス 2014年1月25日
訪問日:2014年1月25日
場所:神奈川県鎌倉市山ノ内
明月院と今泉台の住宅地を結ぶ道路沿いに庚申塚がありました。青面金剛や馬頭観音と刻まれた庚申塚のほか六臂合掌青面金剛を刻んだ庚申塔もあります。
宝永7年と刻まれているようです。宝永7年は1710年、宝永4年には東南海で大きな被害があった宝永地震、富士山の最後の噴火である宝永地震があった時期です。
関連する記録 六国見山・鎌倉アルプス 2014年1月25日
訪問日:2014年1月25日
場所:神奈川県鎌倉市高野1
大船市街から外れた住宅地に高野台の供養塔があります。傍には五輪塔も祀られています。
関連する記録 六国見山・鎌倉アルプス 2014年1月25日
訪問日:2014年1月25日
場所:神奈川県鎌倉市大船3丁目
大船市街から外れた住宅地に離山富士見地蔵尊があります。鎌倉周辺で2番目に古いお地蔵さんと言います。
ここは鎌倉街道の中ツ道が通っていたようで地蔵堂の脇には大きな石柱が建っていました。鎌倉の巨福呂坂あるいは亀ヶ谷坂を越えて戸塚へ、永谷、二俣川を経て府中で上ツ道に合流する道と言います。
関連する記録 六国見山・鎌倉アルプス 2014年1月25日
訪問日:2014年1月9日
場所: 神奈川県鎌倉市二階堂
天園から瑞泉寺への道には貝吹地蔵や古い石窟などがあります。ここは鎌倉幕府が滅亡の歴史を今に伝えるところです。
鎌倉幕府滅亡の時、東勝寺で切腹した北条時高の首を護りながら逃げる家臣を追ってきた新田軍をホラ貝を吹いて追い払ったと伝えられています。
関連する記録 円海山・大丸山から鎌倉 2013年12月9日
訪問日:2014年1月7日
場所:神奈川県鎌倉市浄明寺2丁目7-4
報国寺は天岸慧広の開山により創建されたと伝えられ臨済宗建長寺派の古刹です。境内に孟宗竹の竹林があることから竹の寺とも呼ばれています。
境内にはたくさんの五輪塔が祀られていました。
関連する記録 祇園山・衣張山 2014年1月7日
関連する記録 功臣山報国寺 2014年1月7日
訪問日:2014年1月7日
場所:神奈川県鎌倉市浄明寺
巡礼古道は板東三十三観音霊場一番札所の杉本寺と二番札所の岩本寺を結んだ巡礼道です。道沿いには自然石に庚申塚と刻んだ石碑を見付けることができます。
巡礼古道には金剛窟地蔵尊が祀られていました。自然石をくりぬいた岩窟の中に祀られた古いお地蔵さんです。
関連する記録 祇園山・衣張山 2014年1月7日
訪問日:2014年1月7日、2016年12月3日
場所:神奈川県鎌倉市浄明寺
衣張山は鎌倉の街を見下ろす展望が開けた頂です。桜の木の下に五輪塔がありました。
関連する記録 衣張山から獅子舞 2016年12月3日
関連する記録 祇園山・衣張山 2014年1月7日
訪問日:2014年1月7日
場所:神奈川県鎌倉市大町1丁目
鎌倉で七切通の一つ名越切通しへと登って行く道沿いに五輪塔やお地蔵さんに混じって六臂合掌青面金剛を刻んだ庚申塔があります。
関連する記録 祇園山・衣張山 2014年1月7日
訪問日:2014年1月7日
場所:神奈川県鎌倉市大町1丁目
鎌倉で最も古いと伝えられる厄除開運の神社。新羅三郎義光が京都の祇園八坂社の祭神を勧請したと伝えられています。
地蔵菩薩が刻まれた庚申塚の下には市指定有形民俗文化財の標柱が倒れていました。
関連する記録 祇園山・衣張山 2014年1月7日
関連する記録 八雲神社 2014年1月7日