高句麗からの渡来人高麗王若光を祀る神社です。若光は天智天皇5年(666年)高句麗から渡来、2年後高句麗の滅亡により大和朝廷に仕えました。霊亀2年(716年)武蔵国に高麗人が集められ高麗郡が置かれるとその郡長に任命され、未開の原野を開拓しました。
大磯町の高麗山ふもとの高来神社(たかくじんじゃ)一帯では、海を渡って来た若光が上陸したところと伝えられています。
駐車場には将軍標があります。朝鮮半島の古い風習で村の入り口に魔除けのために建てられたものでチャンスンと呼ばれています。
参道の奥には神門、その中には高麗神社の扁額を掲げる拝殿がありました。
境内の案内板にはハングル、英文、日本語で高麗神社の案内がされていました。また参道には朝鮮王朝皇族御手植えと言う植樹があります。この神社は韓国との歴史のつながりが今も残っているところのようでした。
高句麗からの渡来人、高句麗王族と見られるが出自は不詳。高句麗の滅亡により大和朝廷に仕えました。武蔵国に高麗人が集められ高麗郡が置かれるとその郡長に任命されました。
日本神話に登場する神。天孫降臨に登場する神で、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を道案内した国津神です。伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には庚申信仰や道祖神と結びつきました。
記紀によれば孝元天皇の子孫、日本最初の大臣です。神功皇后の新羅征伐に従軍し、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の二百数十年間の天皇に仕えたと言います。蘇我、葛城、平群(へぐり)、巨勢(こせ)の4氏の祖とも言われています。
高句麗からの渡来人、高句麗王族と見られるが出自は不詳。高句麗の滅亡により大和朝廷に仕えました。武蔵国に高麗人が集められ高麗郡が置かれるとその郡長に任命されました。
日本神話に登場する神様。天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫。天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)の子。天照大神の命で葦原の中つ国を統治するため、高天原から高千穂峰に天降ったとされる。木花開耶姫(このはなのさくやびめ)を妻とし、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を生んだ。
十干十二支の一つ庚申の日の禁忌を中心とする信仰。中国では道教の説で庚申の夜睡眠中に体内の三尸虫(さんしちゅう)が逃げ出してその人の罪を天帝に告げると言い虫が逃げぬよう徹夜する風習があった。
仲哀天皇の皇后、父は開化天皇の曾孫、母は新羅から但馬に来住したという天之日矛(あめのひぼこ)の玄孫たかぬかひめ。
三韓征伐の中心人物で仲哀天皇が熊襲を討つため九州に赴き筑紫の橿日宮で急死すると、妊娠中にもかかわらず武内宿禰とはかり新羅に遠征したとされています。
この遠征により百済と高句麗も日本に帰服ししました。皇后は大和に戻ってから応神天皇を皇太子に立てて約 70年間皇太子の摂政としてみずから政治をとったと言われています。