総持寺 


 寺社の種類:曹洞宗の大本山
 山号:諸嶽山
 創建の時期:奈良時代、行基が開基
 本尊:釈迦如来
 札所: 東海三十三観音霊場、鶴見七福神、京浜四大本山
 所在地:神奈川県横浜市鶴見区鶴見2丁目1-1
 訪問日:2023年4月14日

 

總持寺は、越前の永平寺と並び曹洞宗の大本山です。元は石川県能登にありましたが、明治44年(1911年)に火災により焼失し鶴見に移転してきました。境内には仏殿を中心とし禅宗特有の七堂伽藍を備えた大きな寺院です。

横浜市鶴見区・総持寺の入り口
総持寺の入り口
横浜市鶴見区・総持寺の太祖瑩山禅師700回大遠忌
太祖瑩山禅師700回大遠忌
横浜市鶴見区・総持寺の参道に三松関(さんしょうかん)
参道に三松関(さんしょうかん)
横浜市鶴見区・総持寺の境内案内図
境内の案内図
横浜市鶴見区・総持寺の三門
三門
横浜市鶴見区・総持寺の三宝殿への階段
三宝殿への階段
横浜市鶴見区・総持寺の櫻木観世音菩薩
櫻木観世音菩薩
横浜市鶴見区・総持寺の三宝荒神の幟が立つ石段
三宝荒神の幟が立つ石段
横浜市鶴見区・総持寺の祈りの鐘
祈りの鐘
横浜市鶴見区・総持寺の平和救世観音
平和救世観音
横浜市鶴見区・総持寺の三宝殿
三宝殿
横浜市鶴見区・総持寺の三宝殿
三宝殿
横浜市鶴見区・総持寺の大きな鐘楼
大きな鐘楼
横浜市鶴見区・総持寺の穴熊稲荷鳥居
穴熊稲荷の鳥居
横浜市鶴見区・総持寺の穴熊稲荷鳥居
穴熊稲荷の鳥居
横浜市鶴見区・総持寺の梅寿庵(ばいしゅあん)
梅寿庵(ばいしゅあん)
横浜市鶴見区・総持寺の梅寿庵のお地蔵さん
梅寿庵のお地蔵さん
横浜市鶴見区・総持寺の相承の石仏
相承の石仏

三門の傍には三宝殿があります。総持寺の守護神、荒神様(三宝大荒神)を祀るお堂です。その傍には穴熊稲荷大明神が祀られています。

大きな切妻造り鉄筋コンクリーの建物は三松閣、檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場となっており、宿泊施設も整っているところです。かつてここで法話を聞き精進料理をいただいた記憶が残っています。玄関にはモーニングセットのメニューがありました。

相承は 弟子が師から、子が親から学問、法、技芸などを受け継ぐことと言います。曹洞宗では瑩山禅師より仏さまの教えを受け継いだ峨山禅師が曹洞宗の基礎を築かれ、その教えは弟子をはじめ代々の祖師に受け継がれていると言います。向唐門の前の石仏はその姿を現しているのでしょう。

横浜市鶴見区・総持寺の三松閣(さんしょうかく)
三松閣(さんしょうかく)
横浜市鶴見区・総持寺の香積台(こうしゃくだい)
香積台(こうしゃくだい)
横浜市鶴見区・総持寺の金鶏門
金鶏門
横浜市鶴見区・総持寺の太祖堂
太祖堂
横浜市鶴見区・総持寺の手水舎
手水舎
横浜市鶴見区・総持寺の太祖堂灯篭
太祖堂の灯篭
横浜市鶴見区・総持寺の太祖堂に扁額
太祖堂の扁額
横浜市鶴見区・総持寺に満開の桜が咲く
境内は満開の咲く
横浜市鶴見区・総持寺の仏殿は工事中
仏殿は工事中
横浜市鶴見区・総持寺の宝篋印塔
宝篋印塔
横浜市鶴見区・総持寺の衆寮に古教照心の扁額
衆寮に古教照心の扁額
横浜市鶴見区・総持寺の大僧堂に選仏場の扁額
大僧堂に選仏場の扁額
横浜市鶴見区・総持寺の宝物館
宝物館
横浜市鶴見区・総持寺の雲水群像
雲水群像
横浜市鶴見区・総持寺の振り返る救世観音
振り返る救世観音
横浜市鶴見区・総持寺の志存濟物の石碑
志存濟物の石碑

境内の奥には太祖堂、仏殿があります。仏殿は白いキャンバスに覆われ改修の工事中でした。

Blogなどによると境内の宝篋印塔は昭和40年、名古屋の萬松寺から献納された豪潮塔と言います。現地の「被災霊骨奉祀記念」碑によれば「昭和45年(1970)・・・檀信徒の納骨堂である常照殿や隣接の建築物が一瞬のうちに烏有に帰した。総持寺は熟慮の末、宝篋印塔に被災霊骨を合祀した」とされていました。

衆寮は僧堂でしたが、現在は座禅堂として一般に公開されていると言います。入り口には古教照心の扁額、堂内には准胝観音像が祀られていると言います

参道には大きな志存濟物の石碑がありました。「貢ぎ物をするつもりがある」と訳せるようですがどのような意味があるのでしょうか

 

 曹洞宗(そうどうしゅう)

禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。

 

 釈迦(しゃか)釈迦如来(しゃかにょらい)

仏教の開祖。世界4聖の一人。ネパール南部の釈迦族の王子として紀元前6から前5世紀に生まれる。苦行ののち悟りをひらきインド各地で布教して80歳で没したとされる。

はじめは実在の釈迦をさしたが入滅後、超人化・神格化されて信仰・崇拝の対象となる。日本には6世紀、百済からその教えがつたわった。

 

 道元(どうげん)・承陽大師

鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。

 

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