内山峠10:20~1165m付近10:55/11:00~艫岩展望台12:00/35~経塚山13:15/20~艫岩展望台14:00/05~鋏岩14:55/15:05~内山峠15:45
山の会の山行は荒船山です。昨年、計画したときは内山峠からの登山道は通行止めになっていましたが今年からは通行できるようになっています。岩壁の側を登って行く道は崩壊することも多いようで、地形図を見ると古い登山道とはかなり変わっているようです。
たどり着いた内山峠の駐車場はすでにたくさんの車で一杯です。長野や高崎などの車のほか品川やつくばの車もあります。ここは日本200名山の山、人気の山と言うこともあり訪れる人も多いようです。
内山峠の登山口からはスズダケの登山道を緩やかに登り始めます。芽吹き色の雑木林の中を登って行く道は良く踏まれた歩き易い道です。
しばらく登ると左手が切れ落ちたところが、岩壁の縁近くを登って行くこともあり危なげなところにはガードレールが設けられています。
若葉色の木立の先からは艫岩の岩壁が見え隠れしていました。登山道は小さなコブの南側を巻きながらアップダウンを繰り返します。しばらく登ると鋏岩と呼ばれる岩壁にたどり着きました。岩壁の岩窟は修験者の行場のようで小さな広場の先にふみ跡が続いているようです。
鋏岩からひと登りすると一杯水です。木橋がかけられた沢には小滝が流れ落ちています。ここからは山頂に向かっての急坂です。固定ロープや木の階段などがあるもののそれほど急な登りではありません。
やがて登山道は頂上の台地に。荒船山は四国の屋久島、九州の万年山などと同じメサと呼ばれる卓状台地で溶岩流などの台地が台形上に浸食されたものとか。700万年前の火山活動で流出した溶岩流が航空母艦のような独特の地形を形成させたと言われています。
まだ芽吹きも浅い雑木林の中の登山道は岩壁の縁をたどり艫岩展望台にたどり着きました。垂直に切れ落ちる岩壁は150mほど、目の前には神津牧場から物見山、八風山の稜線、その先には浅間山が大きなすそ野を広げていました。浅間山の右手には草津の横手山や岩菅山、左手には霧ケ峰高原の茶臼山や物見石山などが見えていました。
山頂はたくさんのハイカーで賑わっています。我々は避難小屋近くの草原に腰を下ろしお昼にしました。
山頂からは経塚山に向かうことにします。荒船山の最高点である経塚山は艫岩から約1.6km、長大な空母の飛行甲板の先端に位置するところです。
途中には皇朝最古修武之地の石柱が祀られていました。この石碑は昭和初期に地元の人達により建立されたものです。出雲の国譲りの伝承にかかわる伝承の一つで、群馬側では大和朝廷側の経津主命と国つ神側の建御名方命との神戦いがこの地であり千曲川の水が七日間血に染まったされています。諏訪では建御名方命は武甕槌神との力比べに敗れて諏訪湖に逃れ、この地から出ないと誓ったとされています。神話の世界も土地それぞれに色々な言い伝えがあるようです。
近くにはしめ縄が張られた荒船山神社の奥宮があります。里宮は佐久市内山に祀られていると言います。
星尾峠への道を右に分けると経塚山への登りが始まります。急坂にジグザグを繰り替えすと木立に覆われた経塚山の山頂にたどり着きました。
山頂には三角点と石祠、祠には古い奉納札が祀られていました。上善如水の酒瓶が供えられているところを見ると今でも参拝が行われているのしょう。
山頂から続く尾根道は立岩や毛無岩へと向かう道です。何れも岩場や鎖など西上州特有の岩峰の山です。あまり一人では足を踏み入れることができそうにないコースのようです。
山頂で一息を入れたのち内山峠に下ることにしました。途中の艫岩ではまだ青空の下に浅間山を中心にした広い展望を楽しむことができました。
鎖や梯子など急な坂道を下って行きます。途中、鋏岩の下で一休みしたのち緩やかになった道を下って行くと内山峠の駐車場にたどり着きました。荒船不動側に下った人もいるのか駐車場は我々の車のほか数台でした。
雑木林の中を登って行く内山峠からの登山コースにはたくさんの花が咲いています。登山道わきにはネコノメソウ、すでに花の時期を過ぎてしまいましたがヤマネコノメソウやハナネコノメでしょうか。フデリンドウやマルバコンロンソウ、フモトスミレなども見付けることができました。
山頂台地の林の中にはトウゴクミツバツツジが咲いていました。今は若葉色の芽吹きが始まったばかりです。しかし笹に覆われた登山道には目立った花は咲いていませんでした。