神津牧場駐車場-(0:40)-物見岩-(0:35)-物見山-(0:25)-香坂峠-(0:35)-矢川峠-(0:45)-八風山-(2:20)-神津牧場-(0:10)-神津牧場駐車場
信州と上州の国境線上に続くなだらかな稜線上には八風山と呼ばれる頂があります。上信越線に普通列車が運行されていたころには、軽井沢からのハイキングの山として多くのハイカーが訪れたところです。軽井沢方面は新幹線が運行されることになってから訪れる人も少なくなったと言います。
またこの山々は大正から昭和初期に活躍したの登山家、大島亮吉の随筆として出版された山-随想でも内山牧場から神津牧場の風景が美しく描写されているところです。
茶色い落ち葉が降り積もる内山牧場脇の駐車場から物見岩に向かう登山道が始まります。ミズナラなどの明るい雑木林はすっかり葉を落とし、登山道はカサカサと音を立てる枯れ葉で覆われています。ゆっくりと登って行く登山道は舗装道路を横切って後、小さな稜線の上にたどり着きました。
展望の開ける小高い岩塊は物見岩と言われる頂で、目の前には曇りがちの空の下に360度の展望が広がっています。今登ってきた神津牧場の緑の牧草地が冬枯れの雑木林の中に広がっています。その先には西上州のギザギザとそそり立つ岩峰群、この山域はあまり足を踏み入れていないこともあり山座同定を楽しむこともままなりませんが、それでも数日前に登った物語山の岩峰、その奥には鹿岳など林立する岩峰を見つけることができます。
小さな岩塊の上に立つと目の前には荒船山の艫岩、その奥には赤岳から続く八ヶ岳の青く霞んだ峰々を見付けることができます。
物見岩の下には内山無線中継所の大きなパラボラアンテナが建っています。鉄製の階段を登ると広い展望を楽しむことができる展望台があります。目の前には大きな池を中心に内山牧場の牧草地が広がります。その右にはパラボラアンテナを頭に載せた物見山がなだらかな頭を持ち上げていました。
林道を横切った登山道は明るい尾根道を緩やかに登って行きます。牧柵の傍にはピンクの実をまばらに付けたマユミが秋の深まりを教えてくれていました。
たどり着いた物見山は広く開けた草原の上で、この小さな頂からも広い展望が開けています。山頂直下の駐車場から登ってきたのか、小さな子供を連れた家族連れが山頂でお弁当を広げていました。
大きくすそ野を広げた浅間山から続く稜線の上には鼻曲山の頂、さらに右手に目を移すと妙義山の岩峰が青く霞んでいました。
物見山からか急な坂道を下って行きます。右手には神津牧場の牧柵が延々と続いています。
緩やかな雑木林の中をたどる道はやがて矢川峠の入り口にたどり着きました。道端には10名ほどのハイカーが昼食の最中です。軽井沢から八風山、神津牧場へ縦走しているのでしょう。
ここからは八風山への登りが始まります。途中の矢川峠は下仁田と佐久を結ぶ峠道のようですが、大風の影響か下仁田への道はトラロープで通行止めになっていました。
葉を落とした雑木林の中を緩やかに登って行く道は八風山を目指した緩やかに登って行きます。この直下には上信越自動車道の八風山トンネルが通っているようですが、登山道からはその気配も感じられません。途中、左手が崩壊したところもありましたが登山道は大きな岩峰の裾を巻くようにして小さな峠にたどり着きました。右手から登ってくる道は軽井沢からの登山道で、別荘地の八風郷からは30分程度でたどり着きようです。
ここで道を左に、明るい雑木林の小尾根を登ると八風山の山頂にたどり着きました。北東側が開けた山頂からは目の前に大きなすそ野を広げる浅間山。その山麓には軽井沢の町並みが箱庭のように広がっています。
この別荘地には浅間山荘事件の舞台となった旧河合楽器の浅間山荘があります。名前から浅間山の山麓にあったと思っていましたが、ネットなどで調べてみると八風山の下に広がるレイクタウンにあるようです。当時の記憶はすでに薄れてはいますが40年前の歴史の一こまがこの山麓で繰り広げられていたようです。
八風山で遅い昼食を楽しんだ後神津牧場に戻ることにします。途中、香坂峠からは道を左に折れ林道のような広い道を緩やかに下って行きます。馬頭観音の石仏などもある道は古い歴史が残る道のようです。
たどり着いた神津牧場には豚や牛などの牧舎が建ち並ぶところです。観光牧場としても多くの観光客が集まっているようで、子供向けの遊具や動物との触れ合いのできる施設もあるようです。
赤い屋根のレストハウスでは名物のソフトクリームを売っていました。さすが牧場のソフトクリームだけあって美味。そのほかソーセージやチーズなどのお土産も売っていました。
冬枯れの明るい雑木林の中を落ち葉を踏み締めながら歩くコースは、多少距離が長いようですが心地よい山行を楽しめるコースのようです。