今でも白い噴煙を上げる浅間山。昔から活発な噴火を繰り返し、阿蘇山とともに我が国の代表的火山の一つに数えられている火の山です。特に有名な噴火は天明3年(1783年)の大噴火で、その時の溶岩流は北側山麓の村を押し包み、多くの犠牲者を出したと言われています。今は観光地になっている鬼押出しはその名残です。その孤立した大きな山は、深田久弥氏の日本百名山の一つにも数えられ、中部山岳の広い範囲から山頂に白煙をたなびかせたその姿を眺めることができます。
上州と信州の国境に位置するこの一帯は、昔から交通の要衝として栄えた所のようで、西からの中仙道、北からの北国街道をたどる旅人が、浅間の山にたち上る噴煙を眺めていたようです。江戸時代の俳人芭蕉も「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」と詠んでいます。
上信越自動車道の佐久インターから小諸へ。小諸からは高峰高原へと向かうチェリーパークラインをジグザクに登って行きます。付近はようやく桜の時期を向かえたようで、道の両側には山桜が白い花をほころばせています。途中、右手に折れる道は浅間山荘へと向かう道。赤軍派という武装集団がこの山荘に立てこもり、警察を相手に銃撃戦をした所です。ジグザグにカーブを繰り返してたどり着いた峠が車坂峠。冬はスキー場になる一帯にはロッジやホテルなどもあり、ドライブで訪れる観光客も多いところです。
登山道は車坂峠から延びやかに続く尾根を登り始めます。火山だけあって真っ黒い火山礫のザレた登山道が続いています。徐々に高度を上げて行くと展望も開け、ふり返ると車山峠の向こうには水ノ登山、籠ノ登山の双耳峰。その後ろに広がる山塊は四阿山、根子岳、草津白根山など上信越の山々。さらに青空をバックに広がるスカイラインは、白く雪を抱いた北アルプスから南アルプスの稜線です。
しばらく登ると登山道はツガやシラビソの針葉樹帯の中を登って行くようになります。正面に赤ソレの頭を望むようになると倒木も多くなり、また解け始めた残雪で道はひどくぬかるんでいます。この斜面の白骨のような倒木は噴火の火砕流によるものでしょうか。火山の恐ろしさを痛感させてくれる景色です。
赤ゾレの頭からは正面に大きな浅間山を眺めることができます。赤茶色のドーム状の山肌にはまだ草木も生えていないようで、落葉松の茂り始めた火口原と際立った対比を見せています。ここからは一度鞍部に下り、小さく登り返した頂がトーミの頭です。目の前には大きな浅間山。右手にはゴツゴツした岩峰の剣ヶ峰。その向こうには妙義山を始めとする上州の山々。足元には湯ノ平の火口原が広がっていました。
トーミの頭からは火口壁に沿った登山道を黒斑山へと登って行きます。相変わらず道は解け出した残雪でぬかるみ、なかなか歩きにくいものです。たどり着いたコブが外輪山の最高点である黒斑山。正面に広がる前掛山の斜面を眺めながら昼食としました。
浅間山は噴火の危険があるため、外輪山以外は立入り禁止であったようですが、最近は火口から2kmまでは足を踏み入れることができるようになったと言います。赤茶けた火山礫の斜面を小さな点となって登山者が登って行くのが見えます。
ここから眺める浅間山は三重式火山の特徴を良く現わしています。正面に見えているのは前掛山という内輪山の頂で、その中に火口原と中央火口丘があると言います。眼を凝らすと青空に白い噴煙が上がって行くのが見えます。山頂で展望を楽しんだ後、往路をたどり車坂峠へと戻ることにしました。
車坂峠からはチェリーパークラインを小諸市内へ。今日は時間的にも余裕があるので、市内にある懐古園を訪ねて行くことにしました。
小諸駅の裏手に広がるこの公園は、武田信玄の命により山本勘介と馬場信濃守信房が築城した小諸城の跡。三の門、二の丸跡、本丸跡など往時を忍ぶ遺講が残っています。城の構えは城下町より低い穴城で、千曲川の川岸に広がる断崖を利用した堅固な要害であったとか。また園内には明治の詩人、島崎藤村の千曲川旅情の碑文が建っていました。藤村自筆という碑文には教科書でもおなじみの「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子哀しむ・・」。
また園内には郷土博物館が建っていました。浅間山の噴火や小諸の歴史などが紹介されています。屋上からは正面に広い裾野を広げた浅間山。ふり返ると千曲川とその上に広がる布引観音の切り立った断崖。なかなか素晴らしい展望でした。