浜街道1・横浜から鶴ヶ峰 
歩行時間:行動時間 6:01、歩行時間 5:31
歩行距離:17.3km
累積標高差:+235m、-202m
往路:市営地下鉄・関内駅、復路:相鉄本線・鶴ヶ峰駅
訪問日:2026年1月9日
関内駅9:33~神奈川県庁~横濱開港資料館9:59~近代街路樹発祥之地~吉田橋~満徳寺~成田山横浜別院延命院10:43~伊勢山皇大神宮10:54~戸部・野毛の丘~妙玄寺~平沼商店街~浅間神社11:47/50~芝生の追分12:01~宮田町の石仏群~延命地蔵尊12:10~杉山神社12:43~和田町商店街~杉山社13:22/26~正観寺13:38/42~妙福寺13:47~富士山神社14:16/21~不動道入口15:06~~鶴ヶ峰駅15:34
浜街道は八王子から横浜へと続く街道で、生糸を運んだ古い街道です。江戸末期から明治初期に主要な輸出路となり後に「日本のシルクロード」と呼ばれました。現在も国道16号線、国道141号線(町田街道)などとして多くの車が通るところです。
歩き始めは横浜の関内です。1859年(安政6年)に日米修好通商条約により長崎、新潟、兵庫、函館とともに横浜が開港されました。山下公園近くには1854年(嘉永7年)にペリー提督と結ばれた日米和親条約締結の碑や横浜開港資料館がありました。
馬車道通りには神奈川県庁のほか歴史博物館(旧横浜正金銀行跡)、旧富士銀行横浜支店、近代街路樹発祥の地など歴史的建物などが残っていました。
吉田橋は日本最初のトラスト橋でした。「鉄の橋(かねのはし)」と呼ばれ文明開化のシンボルとして人気であったと言います。
ここで道を右に、大岡川を越え緩やかに坂道を登って行くと成田山横浜別院延命院と満徳寺です。朱塗りの本堂には謹賀新年の幕が張られ初詣のお客さんも多く訪れているようです。
境内からは横浜港方面の視界が開け、立ち並ぶビル群の中にランドマークタワーが見えていました。
成田山の本堂の裏を緩やかに登って行くと伊勢山皇大神宮です。初詣の参拝客のほか合格祈願に訪れる人も多いようで広い境内は賑わっています。
皇大神宮は伊勢神宮の内宮の名称、天照大御神を祀る日本最高位の神社です。境内の奥に祀られた本殿は唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれる古代高床式の神殿です。
緩やかに下る道は野毛の切通しから戸部通りを下って行きます。真宗大谷派の妙玄寺を越え背丈が低くなった町並みを歩くと高島町です。
浅間下で道を左に折れると浅間神社、ここは旧東海道が通っていたところで東海道の街道歩きでも訪れたところです。
芝生(しぼう)の追分で道を右に、ここからは国道16号線(八王子街道)に沿って歩いて行きます。
追分の近くに野仏が祀られていました。標石には「諸悪莫作、衆善奉行」、仏教の大般涅槃経にある偈文と言います。仏教共通の根本倫理として多くの宗派で詠まれていると言います。GoogleMapによると宮田町の石仏群とか、近くに墓地はあるもののお寺は見当たりませんでした。
車の流れが多い国道16号線は所々に旧道が分かれています。往時の街道は町並みを拾うように道が続いていたのでしょう。
しばらく歩くと延命地蔵尊です。古い延命地蔵、子育て地蔵、水子地蔵が祀られているようです。香象院というお寺が管理しているのか案内板がありました。
更に国道16号線を歩くと横浜新道、高架橋の下に杉山神社が祀られています。和田村の鎮守社として祀られた神社です。
たくさんの車が行き交う国道16号線、青色の道標によるとここから鶴ヶ峰までは4Kmほど道程のようです。僅かに歩くと上星川村の鎮守・杉山社、神社の境内は子供の遊び場になっていました。
旧街道を少し歩くと曹洞宗の正観寺です。境内には旧小机領三十三観音霊場札所の観音堂のほか稲荷社や弁財天堂が祀られていました。ここの稲荷社は豊川稲荷を勧請した稲荷社でした。
その先には日蓮宗の妙福寺、広い境内には墓地がありましたが墓の数は多くないようでした。
西谷高町の商店街から踏切を渡り富士山神社に立ち寄りました。急な石段を登ると拝殿、隣には神奈川には珍しい富士塚があります。曇っているものの大山の先には大きな富士山を見付けることができました。
白根交差点から道を下りと帷子川、緩やかに登り返すと相鉄本線の鶴ヶ峰駅です。駅の周辺には飲食店などもあり結構賑わっていました。
今日のGoolが鶴ヶ嶺駅、横浜の関内からは歩程17km、5時間半の街道歩きでした。