正観寺 
寺社の種類:曹洞宗の寺院
山号:補陀山
創建の時期:文禄3年(1594)に創建、雲松院十一世龍山遵朔大和尚が開山
本尊:如意輪觀世音菩薩坐像
札所:旧小机領三十三所子歳観音霊場5番
所在地:神奈川県横浜市保土ケ谷区東川島町45ー4
訪問日:2026年1月15日
横浜市保土ヶ谷区にある曹洞宗のお寺です。
境内の石碑によると、中田家の菩提寺として創建、一時期無住となりましたが大正期に再興されたと言います。
当山は曹洞宗補陀落山正観寺と称し福井の永平寺、鶴見の総持寺を両本山とし小机の雲松院を本寺とする。
後北素家家臣小机衆として勢力のあった矢上城、現在の日吉、城主中田加賀守の菩提の為その子中田藤左衛門が父の守本尊であった聖観世音菩薩立像、弘法大師作一寸八分純全製を奉納し、雲松院十一世龍山遵朔大和尚を請し閉山とし創建した。
後に旧小机領三十三観音霊場第五番の札所となる。この霊場は小机城主笹原越前守の奥方と息女の死亡が重なり更に鶴見川の氾濫等による被害の甚大さが加わった為小机の領地鶴見辺から町田にかけての地域の中から特に観音様に御縁の深い三十三所を指定して冥福と安全を祈願したのに始まる。
享保十七年壬子の年(一七三二)淨土宗泉谷寺住職転譽上人が旧小机領三十三観音霊場の開設を徳川幕府に願い出て許可されこゝとに正式に霊場として発足した。その年が子の年であった為子の年毎に開帳をし今日に至っている。
藤左衛門は寛永十二年六月二十七日没、戒名を空山永尊禅定門と云い正観寺開基として祀る。
爾来法灯不断、中田家の菩提寺となっていたが明治時代に無性となり廃寺同様のところ大正十年大徳院二十七世中島俊明が兼務住職となり法地開山す。
昭和三年中田家十四代当主中田要作並びに総代中田復四郎が講中と相計り仮本堂を建立善浪俊明を住職に迎え中興す。
無禄無檀家の当寺を復興することは困難を極めたが次第に檀信徒が集まり今日の正観寺の基礎を築いた。
開創三百八十年 中興七十周年を記念し之と建立する。
平成二十年四月一日 補陀落山正観寺三世寿村耕鐵心
禅宗の一派。中国の禅宗第六祖慧能の法系である洞山良价 (807~869年) を祖とする。中国禅宗五家七宗の一つ。鎌倉時代に道元が入宋して伝えた。福井県の永平寺と神奈川県の総持寺とを大本山とする。
六観音または七観音の一つで如意宝珠と法輪の力によって生きとし生けるものを救済するという。延寿、安産、除難の功徳があるとされている。普通は6臂の像で、座像は輪王座。右の第一手は必ず思惟(しゆい)手となるのが特徴。
鎌倉時代の仏僧。曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。幼くして比叡山に上ったがその教学に疑問をもち、栄西について禅を学び1223年明全(みょうぜん)とともに入宋した。天童山で如浄の印可を受け1228年帰国した。
六観音は六道輪廻の思想に基づき、六種の観音が六道に迷う衆生を救うという考えから生まれたもの。地獄道 - 聖観音、餓鬼道 - 千手観音、畜生道 - 馬頭観音、修羅道 - 十一面観音、人道 - 准胝観音、天道 - 如意輪観音とされる。天台系では准胝観音の代わりに不空羂索観音を加えて六観音とする。