浜街道4・古淵から橋本 


 歩行時間:行動時間 6:08、歩行時間 5:16
 歩行距離:15.0km
 累積標高差:+146m、-110m
 往路:JR横浜線・古淵駅、復路:JR横浜線・橋本駅
 訪問日:2026年2月10日

 

 コースタイム


古淵駅10:24~木曽中原交差点10:43~三家の地蔵~覚圓坊11:02~木曽観音堂の庚申塔~木曽一里塚11:10~延命見張り地蔵菩薩~伝重寺11:15~木曽金刀比羅神社~木曽秋葉神社11:30~上の地蔵~福昌寺11:34~かつや町田忠生店~箭幹八幡宮13:04~常盤日枝神社13:49・持宝院13:51~中村地蔵尊14:26~長泉寺14:35~大神宮石灯篭~小山御嶽神社14:53~小山町のお地蔵さん~神明神社15:06~御嶽堂稲荷神社15:10~福生寺15:19~天縛皇神社15:40~橋本駅16:32

 

 古淵駅~木曽一里塚~箭幹八幡宮~長泉寺~橋本駅


浜街道の街道歩きは古淵駅からです。木曽中原の交差点から町田街道を橋本へ、旧街道は関東の平地にも降った雪がまだ残っていました。

JR横浜線の古淵駅
木曽中原の交差点

しばらく歩くと覚園坊の観音堂です。園城寺塔中六百二十一坊中の一寺という古い歴史を持つお寺で武相卯歳観音霊場四十八ヶ所の一つにもなっています。

境内には大般若供養塔がありました。大般若経は600巻という膨大なお経のため、実際には全文を読むのではなく、巻物をパラパラとめくる転読(てんどく)が行われると言います。大般若経の供養塔は関東にも点在していると言いますがあまり見たことはありませんでした。

近くには木曽の一里塚があります。ここは府中通り大山道の一里塚で塚の上には大口真神社が祀られていました。かつて久能山に葬られた徳川家康の遺骸を日光に移送するとき使われた御尊棺御成街道は、境川より相模原の磯部までは府中通り大山道と重複していると言います。ここの一里塚の次は小野路の一里塚、鎌倉古道・上道の街道歩きで訪れた記憶があるところです。

旧街道には昨日の雪が残っています
覚圓坊の観音堂
覚圓坊に大般若供養塔
木曽一里塚

また近くには浄土宗の伝重寺、その隣には木曽金刀比羅神社がありました。

伝重寺の山門
伝重寺の傍に木曽金刀比羅神社
木曽秋葉神社
上の地蔵

さらに旧街道を歩くと木曽秋葉神社です。ここは秋葉講の信仰(火防・防災の神)がこの地域に根付いたところと言います。

木曽秋葉神社に裏には大きな福昌寺、東側の入り口は雪のためか閉じられているため南側の山門まで大きく回ることになります。拝殿の傍には木魚に頭を乗せた「一休ねむり像」があります。一休禅師は臨済宗の禅僧、「とんちの一休さん」として童話などでも有名です。

時計はすでにお昼近く、久しぶりに「かつ屋」でお昼ご飯です。近隣の工事関係の人でしょうか、作業着の人が目立つところでした。

この近くには桜大美林大学のキャンバスがあります。キリスト系の私立大学で国際教育に力を入れていると言います。

福昌寺の本堂
一休ねむり像
久しぶりにかつ屋でとんかつのお昼
桜美林大学の校舎

少し道を迷いながらたどりたどり着いたのは箭幹八幡宮です。箭幹(やがら)の名が示すように武家とのつながりが深い神社で、源義家や源義平に関する話が神社の由緒書きにも出ているようでした。

また境内には木曽ばやしの山車庫がありました。ここの山車は木曽ばやしの山車、神社の祭礼で引き出されることはないようです。

箭幹八幡宮の隋神門
箭幹八幡宮の拝殿
子守り獅子
常盤日枝神社の拝殿

かつての旧街道は境川の川岸を縫うように続いていたようでが、現在の町田街道は直線的に橋本へと続いています。右手の坂の上には常盤日枝神社と持宝院があります。地元の鎮守のようで、境内の真ん中にはゲートボール場がありました。

下馬場の交差点を越えるとたくさんのお地蔵さんが祀られた中村地蔵尊です。宝暦6年(1756)創立されと言う古いお地蔵さんを中心として13体のお地蔵さんが祀られています。赤い着物を着たお地蔵さんは風化が進み、最近改修が進んでいると言います。

近くには持宝院があります
下馬場の交差点
中村地蔵尊にたくさんのお地蔵さん
石段を登ると長泉寺の山門

坂道を登ると長泉寺です。禁葷酒の石柱が建つお寺は曹洞宗の寺院、本堂の脇には「道本圓通 争假修證 宗楽自在 何費功夫」と書かれています。道元禅師が書かれた普勧坐禅儀の冒頭の言葉で座禅の教えと言いますが俗人にはなかなか判らないものです。

境内の「お掃除小僧」に書かれてる「はけば散り 払えばまたも塵りつもる 人の心も庭の落ち葉も」は確かに納得できるものです。

橋本周辺は気温も低くなっていたのか、境内はまだ白い雪で覆われていました。

県道158号線は南多摩尾根幹線道路、ここは「横山のみち」を歩いたときに訪れたところ、防人の碑や新田義貞が鎌倉に攻め込んだ古戦場跡があったところです。

長泉寺の本堂
お掃除小僧の石碑
石灯籠と馬頭観音
石段を登ると小山御嶽神社

住宅地の中の坂道を登ると小山御嶽神社です。境内の石灯籠は地震対策なのか固定され、その傍の大きな奉納札掲示板は崩壊していました。今回の雪のせいではないのかもしれませんが神社の管理もなかなか大変と言うことなのでしょう。

石灯籠は固定、境内の奉納札は崩壊
小山御嶽神社の拝殿
神明神社の石鳥居
御嶽堂稲荷神社の赤い鳥居

住宅地の中には小さな神明神社や御嶽堂稲荷神社があります。鉄パイプを加工したような赤い鳥居はあまり見かけないもの、境内にある由緒書きでは明治時代にかつて御嶽堂集落にあった稲荷大明神に秋葉大神、大鳥大神が合祀されてとされていました。

町田街道の先に見える大きなビルは京王相鉄線の多摩境駅周辺のマンション群、多摩丘陵ハイクの多摩境駅から京王堀之内駅に歩いた記憶が残るところです。園地の中には大正池を思い出させる大田切池、戦前に戦車の走行テストを行ったという戦車道路がありました。

しばらく歩くと真言宗智山派の福生寺です。境内には弘法大師像と大きな本堂、墓地の近くには観音堂があります。やはり地方のお寺は檀家寺として成り立っているのが現状なのでしょう。

福生寺の山門
福生寺の本堂
天縛皇神社の拝殿
拝殿に扁額

多摩ニュータウン入り口で境川を渡ると天縛皇神社(てんばくこうじんじゃ)、天文元年創建の古い神社でかつては帝釈天を祀った天縛明神でした。明治の神仏分離令で伊邪那岐命・伊邪那美命を祀る天縛皇神社と改称されたと言います。

かつて旧小山村に天縛と言う地名があったようですが現在は相模原市宮下町に吸収されたと言います。神社の名前はこの地名がもとになっているのでしょう。

ここからは橋本駅へと向かうことにします。JR横浜線、京急相模線の高架橋は境川傍を緩やかに巻くよう橋本駅へと続いて行きます。周辺の街は旧家が多いようで、大きな長屋門が今も建っていました。

たどり着いた橋本駅
JR橋本駅

天縛皇神社から凡そ30分、ようやくたどり着いた橋本駅は人通りの多いところです。ここは春先にたくさんの花を見ることができる「カタクリの里」へのバスで訪れた記憶があるところです。

古淵駅から15km、5時間16分の比較的長い街道歩きでした。

 

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